アウトプット

相手の視点に立ってみよう

 飽きたよ。独り言も飽きたよ。誰がいないと寂しいよ。僕は一体化してしまったのかも、あの人と。悲劇だね。悲劇だ。嘆くのが楽しいよ。ああ、この世が終われば。何て思っていたけど、終わりそうもない。終わらせることが僕にはできない。つまり、自殺ができない。かわいそうに。人の気持ちがわからないのは、俺の方なんだ。俺はバカだ。しねしねしね。そう心が攻めてくる。世間の人たちだと誤解している。世間は静かだ。はしゃいでいるのはわたし一人だ。結局一人だ。しねしねしねと言ってくるのは、私だ。この私を殺さなくちゃならない。この私は私には違いないから、殺せば私はどうなる。しかし、殺すのは誰だ。世間に殺させるか、それか自殺だ。英雄よ、自主的な人よ、主体性を獲得した人よ、この人たちは皆自分の心臓もナイフで刺せる人たちだ。自傷行為の底に自惚れがあり、自惚れだけが唯一他者の承認を決してしない他人から逃れる精神的なエンジン装置だ。脱出は可能である。自惚れこそ、脱出の装置だ。世の中と違う時、羨ましいと思われなければいけない。これが至上命令である。決して、自分の利益を自分の努力が産んだ何て思っちゃいけない。お金を貯めてものを買ってはいけない。この精神は利己的に人間をふるまわせ。欲望のためにすべての嘘をつかせる。欲望だって嘘だ。あれが欲しい時、欲しくないといい、世間の目が怖い時、世間なんて怖くないといい、逆に逆に生きるんだ。そうじゃなくちゃ、私はどうも世間の中枢に入って世間を破壊してしまう。変人が別の場所に隔離されすのも、秩序のため。世間は実に恐ろしい。広告に騙されるし、人は平気で殺すし、自分の利益のために人を生かすのだから。それが正常な世界だと納得しなくちゃならない。どうも世界ってのは、秩序を持たせれば持たせるだけ秩序に反した汚染物質を大量に生産するようだ。日本は綺麗な街だ。小綺麗で吐き気がする。その裏で、どれだけの汚染物質が処理されているのか。汚い水は海へ流れる。雲となり雨となって飲み水になる。台風なんて自然と驚異。怒りだろう。金じゃ買えないね。そんな者があったらどうする。本音なんて誰も聞きたくない。誰も聞かないような言葉は、役に立たない。独り言は、誰も聞いちゃくれないような言葉の類だ。でも、確かに私の口から出てくる言葉だ。それを無駄だと思う精神よ。なんと不幸せな精神であろうか。記録がなくても記憶があれば十分だ。写真は記録のためじゃなくて、魅せるためにある。綺麗な写真も妙な構図もダメだ。記憶に残る写真でなくちゃ。僕は世間が嫌いだ。心の底から嫌いだ。警察を憎む心と犯罪人を憎む心は同じだ。犯罪を扱う陰陽で犯罪者と警察が分かれて追いかけっこだ。正義はない。ただ、犯罪があるだけだ。第二次大戦末期、アメリカが日本の政治の中枢部にとどめを刺した時、アメリカは日本人にとって次なるリーダーになったわけだ。世界で活躍する日本人。当の本人は国籍なんて、取るに足らないと思っている。テレビをみて笑う。テレビを見ている人の気持ちになる。テレビは感情教育だ。テレビが好きな人間は年収が少ない。テレビを見て自分の生活をお金に合わせて他人の感情で埋め合わせようとする。年収が多い人間は、一人の時間を好む。友達がいないからだ。それぞれ生き方である。さて、どう生きれば幸せか。金もあって友達があればいい。確かにそうだ。しかし、金のために友達を傷つけ、友達のために金を失う。どっちに行こうか迷わなくてもいい。どっちに行っても、最初から転んでいるんだ。つまずいているんだから。メンタリストにだいごってのがいる。7年間いじめられたらしい。いじめはチャンスらしい。成功者になれるチャンスらしい。あいてがどのカードを選ぶのかはわかっても、あいての心はわかっちゃいないのかもしれない。メンタルをあやつるには、あいてのメンタルに紐を結びつければいいのだ。そこに長けているのだ。そしたら、意のままに操られる。メンタリストってのは、相手のメンタルの完全なる拒否だ。変わろうとする人間がいる、変わりたくない人間がいる。変わりたくない人間は変わろうとする人間を恐れ、変わりたい人間は変わらない人間を見て不安に思う。変われないんじゃないかと。変わらない人間なんていないし、変わる人間もいない。変わるのは血液の流れだけだ。人間の認識はかわらない。裏も見て表も見てそして横から眺め斜めから見る。日に照らしたり、暗闇に置いてみたり。

「いよいよ世紀末だね」

「そうだね、忘れた頃にやってくる」

「ミサイル打ち込まれるんじゃないかな」

「一致団結するには、ミサイルが必要かもね」

「政治家はダメだね」

「国民がダメだからさ」

「結果ばかり言うじゃないか。基地反対。北への圧力を増す。豊洲移転反対」

「代表なんて馬鹿げてる。一票にはバカも天才も同じ数だけあるからね、バカが束になればいいんだ」

「バカも天才も紙一重ってことだろう」

「そうだね」

「天才もバカも嫌だね、うまくできてるよ社会は。異端者は除け者だよ。そうじゃなくちゃ秩序は保てない。周りも安心して暮らせない。痛みや不安そして焦燥感は集団の秩序維持装置だね」

「政治家はその辺もわきまえているから、経済力がないときに金の話はやめといて、虚飾に走るんだよ。オリンピックとかさ。それで、電通がはしゃぐんだろ。薬でもやってるんじゃないの、電通なんてさ」

「間違いないね。いろんな人間と関わりがないからさ。数が多くてもダメだよ。同じように考える人間とつるんで、それで人間をわかったようなつもりになる。いや、排除したがるね。年寄りは嫌だ、子供は邪魔だ。女はダメだ。男は気持ちが悪い。俺が正しいい、わたしの何が悪いってね」

「ヤンキーにおおいよね。笑っていれば面白いんだ。人間の生理にあっているよ。本当に上手に生きている」

「わかろうとする努力なんてしないで、目を潰した方が慣れない道も周りに人がいるから惑わされずに歩いていけるんじゃないの」

「砂漠を真っ直ぐ歩くのって難しそう」

「言葉について考えてもダメだね。ナイフをずっと見続けてもナイフの切れ味はわからない。バイクを見ていても乗り味はわからない」

「言葉は書いてみなければ何もわからない。読まなければ何もわからない。書けば時間を保存し、時間からの拘束を逃れられる。貼り紙ってあるだろ。あれって、毎回注意するよりも、人の記憶という、記憶そのものが秩序なのかもしれないけど、あそこに刻印するためにあるんだ。習慣づけだね。つまり、餌を与えて褒美をもらう犬にやることだよ」

「例えが悪いよ。人間を犬に例えるなんて、人間を尊敬していないみたいだよ。嫌われるからやめな」

「おっと、悪い癖が出た。人間なんて尊重してちゃ、生き仏」

「過保護はダメだね。自傷行為に走らせるね」

「それは間違いない。生きる気力を自ら削ぐことが生きる道なんだからね」

「それが楽なんだけどね。なかなか気力を削ぐのは難しい。特に言葉は。時間を越えるから。時間だけが、人を動かすのかな。あとは、習慣だろうね。でも、習慣に拘束されたくないのも人間。でも、習慣がなければ生きられもしない。拘束されてやっと生きている。自由になるのは、死ぬ時が決まっている時だね。特攻隊がそうだ。死ぬんだから。気持ちは自由だったろう。一様に、生みの親に自由になることへの呵責の攻めから懺悔しているね。感謝ってのは、謝ることを感じるって書くよね」

 

「生きている人間は、本当に美しくないね」

「女が我が者顔に街を歩くだろう。男どもはわたしのしもべ。やらせればなんでもしてくれる、買ってくれるってね」

「それが男ってもんだし、女っていうのはそういうもんだ」

「ちっともエロくないね」

「エロくないね。女は下痢もすれば、鼻毛も伸びる。腐りかけの親父とどう違うんだ」

「化粧は嘘つきなんていう奴も嫌いだな。嘘をつかせてるのは男なんだから。でも、こういうこと話すと嫌われるよね」

「間違いないね。でも、普段から心がけしていれば自然と言動にあらわれるものだよ。にじみ出るというかね。無駄は無駄じゃないよ」

「美しさもわからないね。綺麗だなっていう、自分の心が汚れていなくちゃそうは思えない。嘘でも綺麗だねという心の底には自分へのうぬぼれがあるね。お世辞なんていう奴は、心が真っ黒なんだろうな」

「心が白ければ、よっぽど幸せだろうよ。逃げるところがない。すべて太陽の下。照らされて」

「焼けて黒くなるんだね」

「だから心は白くても心の中にいるわたしは黒いのか」

 

交尾む、連む、つるむ。らしいよ。

 

どうでもいいなんて

「どうでもいいなんて投げやりになっちゃダメだよ。人間、投げやりになっちゃ押しましだから。もう君はダメだ。もう死ねば」

「ああ、そうだね。とは、ならんだろう。死ねばと言われて死ぬほどの気力もない」

「気力がないのが一番の問題だね」

「やる気なんか一切でないから、静かに生きている。それで十分かと問われれば、その問いさえ野暮に聞こえる」

「面白いこと言うんだね」

「そうだね。僕は健康を害しているから、少し元気になる必要がある。毎日ハイボールを飲んで楽しい夜を過ごしてる」

「悪いことじゃなさそうだね」

「いいことでもないよ、未来が怖くて仕方がないんだ。オートメーションに流されて、ロクでもない仕事を割り振られるんじゃないかってね」

「杞憂とも言い切れないな。みんながそういった前提で動いているからね。個人の考えじゃせいぜい、今ある現実と目の前の世界を描写して」

「やっぱり静かにいきることだね」

丸テーブルの上に置かれたティーカップは白かった。窓から差し込む日の光は、穏やかに部屋に満ちた。

「結局、ダメだったんだ。それは遠回りなのか、それとも道もなくなったのか、わからないけれど」

「道もなくなったのなら、もう生きてもいないね。さてさて、憂鬱と友達になって死んじゃいたいって、思うんだよ」

小さじでカップの砂糖を混ぜる。

「消えて消えて、皆に甘い思いをさせたい」

「ビターじゃない?結構。死ぬって、周りの人は嫌な気持ちだよ」

「僕の場合は、そうじゃない。切腹だな」

腹を斬るだけの刃物は用意できた。それだけの金ならある。

介錯はどうするのよ」

小さじをかき回すのをやめた

「僕の精神がやってのけるさ」

僕は精神に全てを費やしてきた。神経は精神の物理だ。神経はなぜ動くのか、それが魂じゃなかろうか。形而下と形而上を繋げる考えだ。

「僕の精神が僕の首も刎ね飛ばす」

「でも、それって妄想だろ。できないだろ」

「できるさ。しかし、そのためには好きな人を傷つけたくないんだ」

「変なドラマをたくさん見たんだね」

「そうかもしれない」

店を出て、夕日の沈む並木の道を歩く。

「どうして死ぬなんていうの」

言葉の重みを感じて話している

「両親が俺を殺したがってるからさ。死ぬのが親孝行になる」

黙って歩いた。体はひどく疲れている。坂道を登るトラックが汚い。

「優しいのね」

俺はひどく優しいのかもしれない。皆金が欲しい。金があれば、人は必ず幸せになれる。その金を奪っているのは俺だ。幸せを人から奪ってるんだ。

「一緒に死のうよ」

私は後悔した。気持ちにすぐに染められるんだ。人を殺すのは嫌だ。しかも、死ぬ動機に自分が入り込んでいる。ところで、自分ってなんだ。

「バカいってる」

死ぬ気なんてない。言葉遊びを楽しんでるんだ。笑うとでも思ったのか。しかし、目が潤んでいる。潤んでいる・・・。

「こんな男でごめん」

俺はまた死にたくなった。両親のために、そして、こいつのために。

「変な世の中だよね。わざと喧嘩したり、言いたいことを言ったらおしまいで、社会の常識に生きて、もっと身をわきまえるべきじゃないかな。常識なんて、そうやすやす使えるもんじゃないよ。そして、社会の文句なんて言うもんじゃないよ。文句があるのなら、愚痴を言うんじゃなくて、社会に楯突かなくちゃ」

「でもね、みんな愚痴で満足してるんだよ。愚痴で。社会をいくら変えてみても愚痴は生まれるよ」

もっと深いところで人間は満足を得る。お金は社会的にも良い鏡を見せるだろう。鏡を壊さぬように借金漬けのこの国でいつまで鏡は割れないのだろうか」

「僕、やっぱり生きるよ」

車の行き交う大通りを歩いた。西日も沈んで街灯が転倒始めた。白い光が点々と道に沿っている。人生を忘れて初めて生きる。生きている実感を得る。生きていてよかった。痛くなければ、人はすぐ死ぬ。

「僕がファンタジーを書けば、暗いだろうね」

黙って歩いた。顔を見ることはできなかった。手のひらが暖かった。

 

どうでもいいんだよね

 関わりがないからどうでもいいという感情になると分析してもしょうがないじゃないか。インプレを書けばいいんじゃないだろうかと考えている。どう自分が考えているのかを考えるんがいいんじゃないだろうか。例えば、バイクは最高に楽しいけれど、何が楽しいのかなんてちっとも伝わらないじゃないか。つまり、バイクは楽しいと周りが言うから楽しいんだ。一人になっても楽しくなれるんがバイクであるように思われる。バイクなんて一人で乗っても楽しいじゃないか。それがバイクじゃないだろうか。でも、楽しみ方人それぞれなのでしょうけれどね。じぶんの文章がなんとも生き生きしていないのが良くわかる。ここにいくら文章を売っても何も始まらない。人の認識は変わらない。おわり。

星をつけるくらいならコメントしてくれバーカブロックすんぞー

 朝が来た。朝日が、太陽の光をもってカーテン越しに部屋は明るく布団を照らす

 素晴らしい1日の始まりだ。日本人を自覚する。下水道の匂いがする。浄化するのは何?

 

 さて、選挙だ。希望の党がどうすれば勝てるのか考えよう。まず、リベラル排除は良くない。全くもって良くない。力のありそうなのは利用するしかないじゃないか。党内のいざこざ見越して、排除したがるのもわかるが、まずは票を取りに行くのが先決事項であろう。

 次は、日本人論だ。朝から忙しい。日本人ってのは奇妙な生き物だ。まず、日本人は日本人が大嫌いだ。勤勉の働き者だが、愚痴ばっかり言っている。すぐ疲れるのに、働き過ぎである。ジョークもユーモアもないので殺伐としている。まるで、神事。厳格な雰囲気の中、心に余裕はなく格式張った形式の残骸にすがりついている。

 そして、私は日本人だとか、人間をひとまとめに論じたくはない。可能性の問題ではない。曖昧で、雲をつかむように、全く対照が明確でないからだ。ただ、言葉の持つ響きがある。それに付随する意味がある。

 「ああはこうかんがえる、でもそれはおかしい。なぜならばあーだからだ。だから、うーがいいのだ」 

 世の中口だけで歩く達者ものはすぐにボロを出す。同じように技術ばかりで考えのない人間は歯車になる。いっそ何も知らない方がとても幸せなのだ。技術も言葉も。

 世の中という時に、私の持つ世の中の意味を言葉に充填する。冷たい人間のリコて的な精神の塊に近寄れない。世の中はそういうものだと考えているのが私だ。

 いっそ、私がいなくなれば世界はなくなると考えた方が幸せであろう。世の統治システムを褒め称える馬鹿どもが共有する幻想空間以外のところで、その世の中は成立もしているのだから。私はどちらにも足を運んで全体手に聞い来てみたいのだ。職人はしゃべらない。頑固で、技術がある。こんな人間ばかりになったらおしまいだ。職人で気軽におしゃべりもできるが腕もあるのが最高であろう。しかし、しゃべりに傲慢さがある。それが嫌いだ。嫌いなことを書くとき輝く。多分、好きなことより嫌いなことのほうが人間はたくさんあるのだ。どうしても、同じような仕事を毎日しなくちゃならない今の人間はオートメーション化され、組織の一部になって、学校化した社会の中で余裕もない受験生と同様に性的にも倒錯して、もうダメになっちまうんだからね。

潜在的に女が求めているもの

 女の欲望が変わり、生存戦略にシフトしたらしい。現代の恋は、女がどう経済的に潤いのある男を捕まえ、結婚し、男を働かせ、子どもができれば、男と距離を置いて気持ち良く過ごすのかにかかっている。女の愛はあってないようなものなのだから。一方で、女の中には女の愛を信じる男の幻想を演じる人間もいる。本人に意図はない。そして、女は男に愛され子供を作り戦争と平和を通して同じ空間と時間を過ごすようになる。男と女は突発的に生じる戦争状態に他ならない。

 このように、自分が生きるために他人を殺すのが人間だと嘆くのは早急であろう。人間は動物や植物を食べて生きている。何も食べなければ死ぬ。仕組まれたことなのだからしょうがないのだ。自然なのだ。人間が人間を喰うことは。しかし、倫理はそこに食ってかかる。人を食うくらいなら欲望を我慢すればいい。他人と同じように動かなくちゃ不安だという気持ちと戦えばいいのであって、他人と戦って相手を不幸に追いやり金を巻き上げて悠々自適に過ごすなんてことを考えなければいいのだ。優しい人間は全くもって不幸に陥る理由もここにある。不幸は、幸福に対して鈍感であることなので、人間は誰しもが幸福を手にしているのであるが、その幸福を他人の目から見られた時酷いものだと言われて初めて不幸に陥るのだ。もし、相手を幸福にしたいのなら、相手の幸福を共に喜ぶことであろう。決してアドバイスなんてしちゃいけない。男のくせとして、アドバイスがある。自分の経験から導き出された答えを押し付けるのだ。今は、女も自由に考えることの虚しさから引っ張ってくれる男というのが安定的に好かれるのであるけれども、引っ張るには少々重くなったその体の原因を突き詰めれば、飯を平らげ外に遊びに行きもせず眠って休み働きそれにうんざりする女が、代わりに稼いでくる男を探しているのだと言わんばかりである。なんとも、男はセックスがしたいもんだから、その女に貢いだり、好きだと見せかけてセックスしたりと、大変にセックスが大流行りしている。しかし、流行りは廃れもうそろそろセックスなんて気持ち良くないと気づき始め、女の快楽が数十倍にもなりさらに、金をやってセックスをするなんてと、女々しく考える男も増えてくる。彼らの経済観念は貧しい。そして、女は、自らの貪欲さに嫌気がさして123ドリンクでシャンデリアにのりスウィングするのだ。あらゆる楽しみと欲望とそれに伴う罪悪感を感じた女は貞淑になれる。貞淑に生まれ落ちた女は一人もいない。貞淑になる女がいるだけだ。そして、今の男は貞淑な女を求めちゃいない。汚れたすぐやらせてくれる女を求めている。電気を消せば顔などどうでもいい。風呂さえ入って、歯さえみがいていればやれるのだ。顔が大事だという男は、紳士である。90のババアも抱いた光源氏は、女にとってヒーローかもしれない。しかし、真摯であろうか。多くの女を泣かせてもきた。しかし、恨まれることはないと皆一様に言うが、そんなはずがあろうか。恨んでいるのだ。しかし、それを表に出さないだけの倫理と強さがあるだけだ。今は、ダメだ、すぐに恨むであろう。バカな話。騙された方がバカなんだから。

楽しいことと好きなことは違う

 俺には好きなことはない。可愛いはある。美しいもある。しかし、好きなことはない。対象を好きになるなんてことは一つもない。好きっていうのは、苦しい気持ちじゃないか。手に入らない、うまくいかない、そんなことを好きだというのだ。安室奈美恵が好きだというとき、尊敬があるだろ。前提として、尊敬してすがらなければならぬほど切羽詰まった状態であるわけだ。好きってのがどうもよくわからない。何をしたら楽しいのかの方がよほど具体的になりうる。しかし、もっと「好き」の正体を探っていきたい。

 女が好きだ。それは宗教だ。どんな痛い目にあっても女が好きなのだ。自分を好きじゃないのは、女が好きだからである。いろんな人を好きなっても構わない。外からわからないじゃないか。好きってのは、差別であろう。ある人が好きで優先する気持ちだ。好きだから何よりも優先されるのだ。なんと酷いことだろう。「好きなこと」のためならなんでもするのが「好き」っていうことだ。好きだけど我慢しようという時、魔の手から逃れる第一歩である。

 「好き」は必ず、嫌いに転じるか色あせて忘れられる。何かを好きになれば、きっとその好きというのは変化していく。徐々に好きではないのに、そこに賭けた時間、お金、情熱、本意、気持ち、つまり自分を自分らしく見せてくれる鏡にすがる。好きなことは減らしていくがいい。

 「好き」とは、まったくもって厄介者だ。何かを好きになり裏切られるまで好きでいるのだ。つまり、好きとは対象の破壊と自己像の破壊を内包する。もはや、嫌いではないか。それは「嫌い」じゃないか。嫌いとは、好きの色あせた姿だ。その鏡に映るのは自分ではない。嫌いな人だったり、嫌な思い出だ。だから、嫌いなのだ。好きは嫌いに転じる。

 「楽しい」は血流の流れである。散歩して見つけた花を美しいと思う。楽しいじゃないか。水泳をして疲れた体も気持ちがいい。そして、ぐっすり眠ってしまう。気持ちいじゃないか。楽しいとは気持ちがいい。好きなことは必ずしも気持ちがいいものではない。バイクが好きだが、バイクが好きとはつまり意味不明なのだ。好きなら買えばいいじゃないか。でも、お金がないから買えない。つまり、お金の使い道が「好き」なのかもしれない。時間、お金、体力、情熱、気持ち。それらを賭ける対象に「好き」が選択肢としてあるのだろう。「楽しい」もお金で買える。水泳もお金がなければできない。しかし、楽しいは代用できる。クルマが「好き」な奴に、自転車をやってもしょうがないだろう。

 「楽しい」は個人的なことだ。お金がなくても楽しく過ごせる。しかし、お金がある楽しみを知った時に貧乏を恨む。つまり、苦しみを経て初めて得られる楽しみがある。好きなものを手に入れた時に初めて人間は、好きでなくなる。手に入れてどう楽しむのか。それが、「好き」と「楽しみ」が手を組む時であろう。厳密に分けられる抽象的な言葉は存在しない。

 楽しいは、相対的で。いっぱいの徳利で幸せになる奴もいれば、ビールを浴びるように飲まなくちゃ楽しくならない人間もいる。

 では、「嬉しい」とはなんだろう。男はこう言った、嬉しい悲しい楽しい好き嫌いを言わない。それで、なんとか日常を幻想の中に楽しんでいるのだ。女は別だ。現実的な楽しい嬉しい好き嫌いを生きている。仮面を脱ぎ去った女は、意味不明だ。意味もないし秩序もない。まるで欲望の塊だ。それを恥ともしない。果ては、子供を養うためだというのだ。そういう理由づけが常習化している社会である。女は優しく、男は強く。つまり、本来は女は不寛容の身勝手で、男はめっぽう不安と焦燥感を紛らわせるために酒を飲み、間接的に強さを誇示するためにもろもろの物を所有したりするのだ。女は、全く経済に疎いと言っても他ならない。金で社会の力学が作動する時、初めて女が社会に強さを持って登場できる。肉体的に男性より劣る女性が、同じ労働環境を強いられるのは酷である。だから、最近はジムに通い女性も体力をつけようとしている。男に近づこうとしている。やはり、男についてくるのが女なのだろう。

 僕は、花を愛でてお茶を飲み読書にひたる女性が好きだ。ジムに通い、筋肉をつけ、飯を平らげ、元気に振る舞う女性をみると、そんな女もレディーファーストで扱わなければならないのか呆れる。筋肉をつけ、肉体美を見せつける。私は、誰かの体を美しいだとか汚いとか思いたくないのだ。肉体で優劣が決まる世界において、私は劣っているほうに属しているからだろう。負け戦さはしたくないのだ。一方で、肉体にコンプレックスのある人間の動機を羨むのだ。

 私は究極的に自分が好きなのかもしれない。好きは「嫌い」を孕んでいる。行き着く先は自己の破滅か。

 ここまで書いた。十分だろうか。考察が足りない。意見を求める。

 しかし、意見を求める本当の理由は、お話し相手が欲しいからに違いない。何か趣味について話をする時に人間は初めて自分の話に価値があると感じるのだ。価値がなければ、話もできないのが人間なのだろう。自問自答し、自らの考えを多角的に検討する。これは理想だろうか。ブレーンストーミングの本来の機能は、自らの自由を手にすることにあるのかもしれない。他を待つよりも、自らが他になりきり自らの考えを検討し強化していく。考えを強化して、他者との議論に勝ち、名声を手にいれる。古代ギリシャ人の魂がある。

 他人の心を読むのは難しい。読んだところで、相手は必ず嘘をつくからだ。本当であっても首を横に振り、嘘であっても首を縦にふる。ついには、何が本当で何が嘘かわからない。慣習に浸っていると、自在な考えは消滅し慣習が肉体を持ち精神の自由は消滅する。虚無感となれ親しみ、好き嫌いもなく、楽しいも楽しくないもなくなる。何もなくなる。荒野でもない、ノッペラとした地平だ。

 体を動かし神経を自分のものにする。とても大事な運動であろう。疲れなんて吹き飛ぶ。