アウトプット

相手の視点に立ってみよう

毎日更新するはずだったのに

 思考がまとまらない。サークルでは話が合わない。たった2年だけ人より長く生きていると、こうまで話のパターンがなんとなくわかってしまう。パターンに飽きてしまうんだ。でも、おもしろいときは笑うけどね。ははは。

 最近、なんか調子が悪いのかな。いろんなものが妙に身に迫って感じられるようになってしまった。勉強ばかりしていたときは、外にでてもいつも同じ風景が広がっていて、なにも新しいものを発見できず、つまらないなあと感じていた。

 でも、この頃、世界観がかわった。もちろん、つまらない方に。なにも、知らなくてもなにかを感じてもつまらないんだなあ。新しいことって依然みた物の焼き直しなのかな。若い頃の感受性を超える新しいものを感じ取れないのかなあ。なんというか、文字の世界に逃げ込むことをしないといけないな。人生は直接素手で触ったらキケンだ。ドライアイスみたいなもので、熱いとこに入れるとモクモクと白い煙が発生して一面真っ白になる。それはまるで、何かに熱中することで時間を忘れ、自分を忘れる体験ににてるんじゃないかと思う。人って、熱中して何かから逃げたいと考えてるんだと思う。

 ぼくが今逃げたい現実はなんだろう。そもそも、きみは現実に生きてない。悪い妄想に囚われていることと大差ないだろ。何もかも観念的になる。自分の評価なんてすぐにかわるんじゃないかな。でも、そういう自信があるのも自分の考える他人の自分に対する評価が安定していないと、自分自身がそうある意味自由で偏見のない考えができているからではないだろうか。

 偏見というものは、自由に物事をみることへの恐怖から逃れるためにかけるサングラスだといえないだろうか。ぼくはあまりにも直射日光で物事を見てしまうため、日光で目が焼かれて終いにはまともに見ることもできなくなってしまうのではないだろうか。サングラスは目に優しい。

 自由な発想ってのを、ぼくは他人の嫌がる価値判断で独りよがりな価値判断であるところが嫌われるんだとおもう。それをうまく説明できれば受け入れてもらえるとしたら、自分の力量不足なのだが。でも、はたしてそれを他人に伝え受け入れてもらい納得してもらうことを、僕自身が欲している理由が、いま直感的に思い浮かんだことに由来するとしたら、お前いったい何年そういうどーでもいいことをいじいじ考えてるんだって、ひとりツッコミをしてしまった。まったくだと思う。なにもかわっちゃいない。基本的なところはなにもかわっちゃいない。ぼくの精神病のある部分は治療に長い時間がかかるのだろう。根は深そうである。

 基本的に、ぼくがいまやりたいことを書いてみよう。・・・とする営みにも、ぼくは小さなめんどくささを感じてしまうし、死にたくなる。おれの性格が死にたい正確だとは思わないけど、いま自分が楽にできることはなにもしないことなんだなーって思うと、このどうしようもない性格をぶっ殺すために、自分を殺して復讐を果たしてやりたい気持ちがおこらないでもない。

 本当にやりたいことは、やったら捕まるか、金がかかるが、将来に影響を及ぼすから、できないんだ。情けない、一度てめぇは死んだほうがいいんじゃないか。人の目を伺って行動して、自分の気持ちに素直になることを本気でバカにして、結局厭世主義者のksやろうじゃねーか、死ねよ。

 自分が不愉快にこの世界で生きている理由を、自分の容姿のせいにすることは簡単であるが、隠された理由である病の進行を黙認することにはよ気付け。