みなさんお久しぶりです。って誰も読んでいないかもしれないんだけど。ま、読んでくれてるよね由紀夫さん。

 由紀夫さんが今この国にいたらあなたはもう一度決起を叫ぶのでしょうか。由紀夫さんにいう世界はおわりました。民族主義は経済に飲み込まれました。お金なしで文化を守ることはできなくなりました。庶民レベルで日本の文化を守ることはできなくなりました。アメリカ流のほんとうにつまらないばか騒ぎに付き合うことでしか日本の文化を守ることはできなくなりました。国文は草葉の陰で一部の人によりしこしこと読み継がれてはいます。これでいいのですよね。国文がメジャーになれば、またアメリカ流の文化が再考する訳ですから。結局、私は死にたいんです。文化について語ることなんてやめてしまいたいんです。もっと別の悩みが私は欲しい。法律で生きていけるほどに世の中で名誉ある人になりたいのです。それは武士であると思います。私は武士ということにあまりこだわりはありません。ただ、名誉にこだわりがあります。もう曖昧な文章を書くのはヤメます。そうでなくては、どんないい訳もまかり通ります。言い訳は何も生みません。あえて言えば、己の精神を守ることはできるかもしれません。いつの頃から、私は空気を読むことをはじめてしまいました。今年の三月頃からですら、私は空気を読んで生きています。合理的な常識的な意見を唱える私は死んでいます。常識がどれほど自らを苦しめるのか、それが笑かない人とはケンカをしなくては行けないのだと思います。相手を殺すことさえ、せいしんてきにではありますが、そこまでしなくてはじぶんが生きていけない気持ちになのです。でも、その相手は誰なのでしょう。常識に浸って物事を判断しているという人は、いったい誰なのでしょう。私にはわかりません。いえ、ほんとうはわかっているのですがここにその人の名前を書いたからといって由紀夫さんは納得しないとおもうのです。でも、聡明な由紀夫さんなら見抜いている筈です。それに、聡明な由紀夫さんじゃなくても俗人によっても唱えられています。そうです、常識を振りかざし私に暴力をしいている人間というのはこの私にほかならない。私自身なのであります。だから、私は人の面倒をみるなんて余裕はないのです。彼女の心のケアなんてしている暇も余裕もないのです。私はあせっている訳ですから、あせった人間がケアなんてできるはずもないではありませんか。私は彼女に自律を求めています、しかし彼女はどんどん幼児化しています。金銭的な独立から彼女は足を降ろしました。殺してやりたい気分であります。私に相談なく仕事をやめて、遊んで暮らしているわけです。もうあんなの彼女でもなんでもないという気持ちが強くなってきて、私はけっきょく再びひとりになるのです。私はあいつを受け入れることでしか、社会に参加できないらしいのです。もう、どうでもいいです。戦争だってはじめればいい。憲法も変えればいい。単位をもらえるかどうかも私は知らない。私は不健康になってしまうのもしらない。人は悪い状態になってはじめていいことを願うのです。それを防ぐためにあらゆる習慣があるわけです。私は習慣さえもめんどくさくてもうやめてしまいました。私に残される道は習慣をふたたび作り上げるか、死ぬかのどちらかであります。それほどまでに追い込まれているにもかかわらず、だれも私を助けてはくれない。母親は自分の生活状況をメールで送ってくるだけで、私の生活をきいたりはしません。それが息子への配慮だと勘違いしているのでしょう。想像力がないのでしょう。仕事でいそがしいのでしょう。そんな私が親から面倒を見てもらうのはお金だけ。しかし、世間では親からお金をもらうのははしたないことだという。ふざけるな。世間はおれに死ねといっているのだ。オレは知り合いには全員におごっている。にもかかわらずである。はは、死ねということか。