アウトプット

相手の視点に立ってみよう

知らないけどオレの記事って、外部によまれてるの?

 知らないけど、何故だが憂鬱な2014年。東京に住んでいるのか、住んでいないのかわからなくなってきた。お金のない人達のように、生きてはいないから。そろそろ帰りたい。帰ってもなにもない。行き場がないじゃないか。

 オレは馬鹿なんだろうな。馬鹿だから、人が驚くような事をしちゃうんだろ。そして、それを楽しむ世間をみるのが楽しいんだから、根っからの人の良さをここに開陳ってわけだ。

 良い奴は自分がナイスガイってことを否定する。その仕草の中に偽物臭さがあるし、それを肯定する事でナイスガイはスポイルされる。

 馬鹿な人間っていうのはいない、暇すぎて考えすぎる人間がいるだけだ。考えることができるということは、時間を持て余してるから何か仕事をくれということだと思うのだがいかがな物だろうか。

 あらゆる論評を大学教授に任せるという事はつまり、それを仕事として請け負う教授が社会の文体に批評をのせることにほかならない。つまり、人が権威になるのだ。

 それを、何故受け入れられないのか。そんな自分がもう嫌だと言えば嫌であるが、こうして文章を紡ぎだせるのも、そんな私自身を「幼子を見る目」でいられるからだと思うのだ。

 腹が減った。そろそろ夜に突入してしまう。もう、言葉を失うという事は社会の価値観に身を任せ続けた人間のなれのはて。