読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

生きるという事への問いかけ

 君は生きる事を快楽に勤しみその感受性を鈍磨させることに見出すか。己の心に思い浮かぶ由なし事を徹底的に愛しまたそれを表現する事にするのか、大問題である。生きるという問い程おかしなものはない。生きるなんて、なぜそんなことが問題になる。大いにもんだになる理由としては、無感動無関心こそが生のひとつの理想型であるという事実であろう。世の中の由なし事にいちいち付き合ってられるほど、私は強くはないのだ。さまざまなものをないものとして優しさを捨て生きる事しか私にはできないのだ。優しさは与えられた人には何も齎さないが、与えた人を殺すだけの力はあると思う。優しいってのはまったくもって必要のない観念なんだよ。君が僕に強いてくるのは、やさしさなんだ。きみはもっと僕にエラそう出なくっちゃならない、また、ぼくは偉そうな君をぶっ叩くだけの根拠なき遊戯にと意地悪にそまらなくちゃならないんだけど、あの日の城山では人間の精神の喧騒からも離れたところに二人はいたんだ。何も目的をもたないほうが、人間は感動できるのだ。文章だってそうだ。目的の為に添削され削除された言葉が持つ奇怪な姿は読むものに退屈と苦痛と違和感を生じさせる事だろう。私たちは、愛さなくちゃならないんだよ。どちがら先に愛をはじめるのかという問題を君も感じているのかもしれない。君は考えないというけれど、考えないでいられるだけの何か別の考えがあるから君は考えないですむんだよ。その別の考えってのは僕から遠ざけられていて僕が触れる事知る事を君は好まないんだろう。それがふたりの距離感とも言える。何もかも開けっぴろげに相手に心のうちを打明かすってのは、好意をすり減らすよいきっかけになるのはたしかなのだから。君はシガレットを吸うなというけれど、君がいるからぼくはどうしてもすっちゃうんだよ。とってもおかしなことじゃないか。どうしようってんじゃない。ただ、そういうながれのなかに僕はいるんだよってこと。僕だなんて言い方を俺は好まなかったけれど、なぜだか君の前では僕になっちゃうんだよ。何故だろう。僕は君を愛するのは私を救ってもらうという目的の為にあるのだろう。しからば、僕は土台ムリなんだ。君が僕の社会的立場を愛するというのなら絶対に僕はその愛の失敗を予感せずにはいられないんだ。だから、ぼくは社会から遁走しそしてきみに愛してもらわなくちゃいけない羞恥プレイをしなくちゃならないんだ。そうじゃなくっちゃ、この愛は終わらない。愛じゃない、まだ愛じゃないけれどもその萌芽を私はあなたの心にみるんだよ。きみはじつにうまく文字をよむね。私にはできないことだ。始終頭で考えている事を吐き出す事しか考えていない、酩酊の中で、あなたはラベルを美しく読んでくれる。酩酊の中お酒を飲む事なくその文字によえる。あなたはやっぱり私を救ってくれる。貴方の努力を買おうという人間・・・。ああ、ぼくは死んでしまいたいよ。そんな人の努力を買うような人間が僕には耐えられない。君に愛されているうちに死にたいよ。僕はもう、ダメかもしれない。君には笑顔みせる事ができるだろうが、それさえ大いなる苦痛のただ中の歪んだ表情なのだ。歪んだ表情を笑顔だと皆は思いたいのだ。思いたいように考えるのが人間だ。人の真の気持ちなど知りたくはないのだ。知ったところで持て余してしまうのだ。良い人間関係は自分の気持ちを上手く処理できる人とのかかわり合いの中で形成されるのかもしれない。こんなことを彼女にうっかりしゃべってしまいそうになる僕が、ちょっと自分でも気が引けちゃうくらい。私には何も話す事がないのではなくて、私はすべてについて話したいがあまりに嫌われる事を知っているしそれを恐れているのだ。つまりは、僕は今恐怖に取り憑かれているのだ。僕は、君の事が好きだ。しかし、決して口には出せない。出しちゃダメなんだ。僕は起こった事実や経験を話さなくちゃならない。それを汚す事が僕のやるべきことなんだ。思っちゃいない事を強がって言わなくちゃならない。ああ、僕はそれを甘んじて受け止めるし実行するつもりだ。僕は貴方とは違うんだ。福田首相を僕は好む。文脈的な事ではなくて、彼の一言故に彼を好む。女の心をつかんだ詐欺師が英雄になる時代に僕は生きている。女は気まぐれに愛し気まぐれに愛を放棄する。いや、愛は気まぐれなものではないというのは捨てられた男の遠吠えだ。愛を握るのは女にある。女が愛を唯一もてるのだ。そんな女を男を見抜かなくてはいけないし、愛さなくちゃならない。そんな女を僕は一人知っているんだ。だからこそ、このもうひとつの愛が僕には辛いんだ。

 しかし、言葉と行動どっちがさきなのでしょうか。それを考えれば、私の辛い愛など吹き飛ばすだけの駄弁を興じる事が僕には出来ない事もないのだ。つまりはこういうことだ。僕は一人愛を持っているものを知っていると書いたけれども、知らないと書く事だって出来るんだ。彼女の悪いところをあげつらえばそんなこと簡単だ。私を安心させる事が出来ない独り善がりの美しい愛にうぬぼれている女という事だって出来ないわけじゃない。しかし、その愛は私には通用しないし私にはなんら価値がないという話だ。価値なんて言い出せば社会が顔を出す。何故いつから、私は社会の顔を気にするようになったというのか。私はどうもよくわからないが、たっぷりその空気に浸っている人ならしっている。おそらくそれが大人になるということにちがいないのだ。一つの価値観を後世大事にする人間は生きていない。つまり考える事を放棄すると同時に、悩む事をも放棄したのだ。便利な道具に飼いならされて自らでもって自律する精神を失っているのだ。そういう輩はいくらでもいるのもたしかなのだ。僕はまっさらな心になるために書いているのだ。文学的趣味の為に書いているわけじゃない。