アウトプット

相手の視点に立ってみよう

私の敵の敵は私の味方では非ず べらんめえ調でどやす

 ちくしょう、なんだっておれはこんなにも学校へいきたくないんだ。おれは学校で文字を食うってんだよ。てめえらの会話におれが惑わされる事ももうないだろう。なんだってなれたからな。学校で生きる為に日々を生きるなんてことがたまらなくめんどくさいんだよ。おれは生きているんだ。家庭が幸せだからと貧乏人はほざくけれども。学校程貧乏に優しいところもないもんだ。貴様等は甘えておきながらさらに罵倒するという偉そうな事をしやらがる。たまったもんじゃないぜ。おれは嫌なんだ。どうしようもなく嫌なんだよ。何年かかるかしらねえ、そんなことおれは知らねえけど。つまんねえ仕事で時間つぶすよりも悩んだ方がマシに決まってらあ。ばかやろう。なんだって学校へ行くのにこんなにも苦労しなくっちゃいけないってんだ。ばかやろう、ばかやろう。ばかやろうってのは便利な言葉だなあ。ああ、もう過去の私にもどるってことはできないんだ。それで得た利益をもう一度なんて思ってるからダメなんだよ。俺の悪いところってのは今をみないところにある。すすんでいるんだから日々違って見えるこの景色を不動の普遍的な風景だとおもいたいときはだいたいつかれてるときだ。きょうがその疲れてるときってわけよ。ああ、空は飛行機の残骸が雲の後ろに隠れてるって言うのによ、おれの心は逃げ惑っている。言葉から逃げ惑ってとうとううまくにげっちまって、病気なのにケガをしてるのにまたさみしいのに俺でさえ捉えられないところにいっちまったってわけさ。ああ、俺は学校には行かないよ。テストのために学校へいくことなんておれにはできない。やる気もおきない。やる気の問題じゃない。ただ、赴きたくないんだ。あいたくないんだ。教授にも学生にも。おれは自分のつらがよごれてるってことを意地でも認めたくないんだ。おれに説教してくる人間を俺は容赦しない。貴様はのうのうとただ自分の確固として犠牲のもとになりたってその立場からものをいうだろう。情況なんて微塵も考えない。立場でものを言えば大文字の他者の言明になって自らの性器も膨らむ事だろう。俺はきみのエロ画像じゃないんだ。きみのエロ画像になってもいいが、それを貴様にばらしてやる。ああ、日本には神はいないのか。いやいるはずだ。パスカルは神がいる方にかけた。いるのかいないのかわかないのなら、いるほうにかければいい。かけるという発想。おそらくパスカルはほんとうにいるかいないか悩むというよりも神の実感を遠くに感じていたのだろう。それだけ、神の不在に安心している。パスカルは神に無関心だったんじゃなかろうか。それじゃなぜ、神について書く。それは気まぐれで神にまとわりつく言葉にさまざまな意匠をほどこした過去のパスカルへの回答なんだよ。ぼくはつまりは、自分はどうしようもなくダメな人間だ。良いと思われるよりも、良い事をしたいんだ。思われるよりも、思いたいんだ。しかし、万人がそうであるはずなんから、良いと思われるというポジションにいる。その為には金がいるんだよ。なぜ将来の自分の個人的人生だけを見つめるんだ。そんなものどうでもいい。究極に今生きる事が私の生活であり一瞬の永遠なのだから。ああ、そんなこよりタバコがすいたい。でも、せっかく体も調子をもどしてきたのだからしばらく吸わないでおこうと思う。ああ、私の事なんてどうでもいいんだ。どうでもいいなんて事じゃダメだ。悩まなくちゃならない。感受性の鈍磨は大文字の他者の言説に身をゆだねることからくる。感受性は個人的なものだ。それは万人に共通しない。どこを目指すべきなのか。それは本を読みながらそれに批判を加えながら考察する敷かないじゃないか。