バカのくだらない興味の対象を熱っぽく語るお遊びの流行る現代において

 つまらないことをいかに熱っぽくかたるのか。少し前までのテレビには世の中のくだらない事を楽しむ為のヒントがたくさんあった。私は素晴らしい出来事よりも感動する話しよりも何気ない事を楽しみまたそれを愛する人達をテレビで見てきた。探偵ナイトスクープだってそうだ。たしかに、くだらない。けれど、昨晩は大笑いしてしまったのだからしょうがない。金属音で感じる女なんて、好奇心をそそるじゃないか。べつに、驚かそってんじゃないけれど。何が面白いって言われて、さあなんだろうって。考える事すら億劫になって。ただ、つまらない事を書き連ねていつの日かまた何行目かにギアが入り、私は私を表現するようになるだろうと思うのだ。前の文章との整合性を求める科学的精神は何を人類に求めるのか。退屈な日常に責任を持って対処し、人間を退屈の中に閉じ込める事を科学ははじめている。科学の客観性の観念、自然法則を、人間精神または人間精神の発露である結果にも求めようとする。私はその傾向はいかがなものかと思う次第なのだ。科学は仕事を便利にする。人生を豊かにするとは到底思えない。タイプライターになったから打てる文字数は増えたけれども、それだけ世にくだらない出版物があふれ古典は見捨てられ、あと千年もたてば検証や観察の可能な作家が居残るだろう。紫式部が読み継がれるのは、彼女の事を皆が知らないからだ。どんな人物であったのか知らないからだ。彼女の作品に集中する事ができるからなのだ。しかし、これからの時代は違う。みせるのではなく、ひみつにすることが楽しいのだ。ひみつをもってるからこそ、自由に振る舞える。ひみつがあるからこそ、言葉は挨拶にしかきこえなくなる。すべての言葉が空転し、ニュートラルのエンジンは空ぶかしする。唸りが耳に響く、どの言葉もかきけされる。私は思った、失敗した事のない人生なんておもしろくない。失敗程おもしろいことはないのに。ただ、しかしだね、失敗するにはそれを補えるだけの力がまたはmoneyがいることも事実なのだよ。それがmoneyに飢えてる人間にはわからないのだ。時給1000円で生きる人間は人間性もけちくさくなる。だから、バイトはしたくないのだ。バイトはこずかい稼ぎだろう。私はこずかいなどいらない。ただ、面白い話し苦労話退屈な話し堂々巡り楽しい話しの落ちそれがききたいのだ。

 今の私について語る事が後々何かためになるのだろうか。今の私はもはや目標を失い女の子を追いかけ、また楽しませる事に一生懸命になろうとするがあまり疲れ果て楽しませる事が出来ないで。そんな自分の事ばかりが気になって、彼女の事は置いてけぼり。さらに、彼女の前で自分をさらけ出す事さえできないで、奥手になっている。奥手が楽しくも節度ある付き合いの一つであるのならば、私のもう一つの付き合いは快楽の付き合いで、すぐに生活に入っていける。私は今のこの状態を未来の貴方に伝える。決して、楽しいものではない。安心すれば人間はつまらなくなる。しかし、安心した人間の言う事はあっているのだ。勘違いする事ができなくてつまらないのだ。不安は勘違いである。不安と闘う為に鍛える。または、言葉を用意する。しかし、言葉はやはり私の記憶を弄る手段であるとともに私のみている社会を映し出すデッサンの役割をしているのも確かな事実であると認めないわけにはいかないのだ。ああ、僕は特殊な言語を使っている。この日本語というのは漢字があまりに多すぎて威厳もあれば、書くめんどくささもある。下手すれば漢字を忘れる事だってある。漢字は絵である。絵に引っ張られる。英語はアルファベットだ。いかめしいこともない。ただ、リズムの流れがそこにあるのだ。彼らは頭がいいのではなくて、彼らの言葉がアルファベットが味わうものよりかは流れを重視するもので、また流れは論理につながる性質のものなのだ。ところで、日本語と言えば私の思っている気持ちを伝えるのには十分である。私はあなたが好きだ。しかし、この文章はみなれてしまったのだ。どうすればいいのだろう。貴方が好きだ。i love you. おそらく後者の方がエロティックロマンスベイビー。