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飛行機

 今宮公彦は鹿児島からの帰りだった。成田に向かう飛行機の窓際に座り、耳にイヤフォンを突き刺しながれるspeedを聴いている。離陸してから数分たつが始終機体がゆれている。彼の乗っている飛行機は格安航空だ。成田と鹿児島を結ぶ便は一日に二便の小規模な路線だから気流の悪い高度を他の航空機とやりとりする機会が少ないのだろうか。

 機体の震動に乗客の悲鳴は上がらないまでも急激に高度を下げる機体はまるで宙に浮いたようになる。どこからかするフライのこうばしいかおりが彼をなぐさめた。まるで畳の上でつまらないテレビを見ながらすごす夜のように。なにもない夜に飛行機の墜落することなど考えられないから。彼はやはり飛行機が墜落するのではないかという不安にかられていたのだろう。飛行機が墜落するのならば、一気に山にでもぶつかるほうが彼は痛みを感じることなく死ねるだろうと考えていた。彼は墜落してもかまわないとおもった。それが英雄的な美しい死であるように彼には思われたからである。永い永い退屈な生で人間は嘘の恋愛をいくつもこなすのだろうか。彼にはその無限が地獄に思えた。愛した人を話したくない気持ちもあるけれども、仏縁もある。おそらくは仏縁に頼る方が気が楽なのも彼には分かっている。好きなように生き、それでいて偶然会った人と連れ添うように生きるのがいいに決まっているのだから。タイミングの合わない生活はお互いのプライベートを守るだろうけれども、愛を育む場所ではないように彼には思えた。かれこれこんなことを数ヶ月も考えつづけた公彦はもはや廃人となり一日を家で寝てすごすようになったのだ。たまらなく辛い日々が続くのに、それに耐えてしまう彼を彼自身は恨んだ。もし彼が我慢強くなければもっとはやくにこの辛さから抜け出して彼女と素晴らしい生活を送ることが出来たのかもしれないと思えば思う程にさらに彼は彼自身を追いつめ彼は辛さを味わった。辛く悩むことがなければ彼はなんだって楽しく思えた。夢である。夢の中では悩まなくてすむから。彼は夢の中で悩む人間ではないらしい。

 突然、飛行機が急降下をはじめた。座席の上から酸素マスクが降りてきた。彼の心臓は脈打った。ここで慌てては死ぬことがおそらくは怖くて仕方なくなるだろうという思いから、彼はまるで何事もないように彼の目前で宙ぶらりんにゆれる酸素マスクの大きく揺れるのを、彼は座席に深くこしかけ、みていた。宙ぶらりんの酸素マスク。酸素は機内に十分にあった。酸素マスクはいらない。何もいらない。ただ、私には余裕がなかった。だから、自分で余裕を作り出そうと懸命に努力した。まわりが慌てて酸素マスクを口につけようとするなか、彼は手を顎に当ててゆっくり呼吸した。余裕を作り出すのは、呼吸かもしれない。いったいどんな言葉も彼には批判的な言葉として返さない訳にはいかなかった。同時に言葉から攻められた。彼を責めない言葉はこの世界にはもはやないだろうと思った。そして彼は言葉を言い返す。そんな日々が続いた。言葉との戦争が。周りの人の思っているように私も考えることが出来れば、彼は幾度となく彼の人生の堕落を彼のその個性の為せる技の為だと考えた。そんな個性を私はいらないと思える程に薄情になれないのは彼が彼を愛していたからなのかもしれない。それに、果たして他人と同じように考えることしかできないのが楽だろうか?おそらくは苦しみも喜びも同じように考える。それはもしかしたら、私のことではないかとも思った。

 外に目をやると真っ暗だ。翼の先端だけが赤く点滅している。墜ちるのだろうか。しかし、迫り来る地面を彼は目では確認することが出来ない。いつ死ぬのかわからない。おそらく墜ちるのだろう。死ぬのだ。だから、最後は何か言いたいことを言って考えたいように考えようとした。それは美しくなければならなかった。

「世界平和。彼女が幸せに暮らせますように。父母祖父祖父母ありがとう。友よ永遠に。もう一度彼女に、私は貴方との幸福な生活を夢みて、夢のままにその幸福な生活を送ることなく今死ぬことをどこか幸せに感じもするのです」

 次の日のニュースには画面いっぱいに、散らばった機片がゆらゆらと海の上を漂っていた。