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ああ。

 僕の問題は将来の問題だ。一体僕はどういう人間にさせられる場所へ出航しようと言うのか。それが問題だ。僕は仕事の興味がないのだ。しかし、それを公言してしまえば人々は私に仕事を課すだろう。私のいいぶんなどまったく聞く耳をもってくれはしないだろう。なぜならば、彼らはすでに働いている人たちであり、仕事は彼らの人生そのものだ。人生を否定されれば誰もいい気はしないものだ。まして、仕事が人生であるという不幸を無理によい人生であるかのように錯覚しようと自己暗示を一生懸命かけてきた人たちにとって、僕の存在はその暗示から逃れ人生を見つめるという厄介なことに首をつっこませる危険を孕んだやつなのだろうと考えれば、僕は社会において相当な地位と権力を持って人々に無理なことをさせ自分の考えを賞賛させることをするのだろうか。僕は人々との関わりの中で議論することを最も好むものである。日本人は議論と言えば口喧嘩だといまだにおもっている未開の人間達だ。もしかしたら、東京の何処かのオフィスでは高尚な議論が展開されているのかもしれない。しかし、僕の環境ではそういう議論はただ対立の火種をまくだけになる。私に発言権があるのは、私は何か仕事を得てお金を持っているときにかぎるのだ。僕は自分のことで精一杯になるがあまり悪魔に取り憑かれることをひどくきらっているのだ。悪魔と契約しても構わないが、そのときは悪魔のやろうを二三度ぶん殴ってからじゃないと気が済まない。僕はそういう人間なんだ。僕がたまらなく、気持ち悪いのは、僕自身であるし、また、僕を賞賛してくれないすべての人たちである。なんて書けば、僕の精神が泥沼にはまっているkと暗い承知してくれる筈であるという機体を誰も僕を知らない人たちがみるであろうこのブログに記事として表現しているのだから。これが本来のインターネットのあり方なのだろう。どこの誰かも知らない人の意見でも、その意見に何か感じれば革命は世界に広がっていくんだろう。革命だなんて大事のように思われるかもしれないが、きょう靴を履いていた人がサンダルを履いて海へ行けばそれも一つの革命だ。今までにしたことがないことをすることが革命である。革命を決して政治の文脈で捉えちゃならない。政治はそもそも革命をうけつけないようにできているし、革命はその政治体制を維持する為の養分として調理されるだけの言論をもっている。革命つきものの暴力を批判しまくることで現体制は、維持されるのだ。

 どうでもいい、勝手に世界はまわっているのだ。世界が回るという比喩に私は飽き飽きとして。まわっているのは地球に違いない。ぼくは地球に住んでいるというよりも住まわされていると言った方がいい。べつに住みたくて住んでいるわけじゃないし、生まれたくて生まれたわけじゃない。一生は暇つぶしである。櫃塗しをたべてすごせれば楽しい人生だろうけれども。私の財布のヒモが贅沢を日常にかえるだけの指南を与える程指導力がないのだ。

 なんていってみたところで、ぼくは彼女に心の贈り物が出来るのだろうか。彼女にピアノをきかせてあげたいのだ。彼女が喜ぶことをしたいけれど、ぼくにはそのための努力をするだけの活力が湧かないのも事実で、なぜならば、ぼくは金にものを言わせて彼女を虜にしているにすぎないのだから。彼女は恋愛をしている気持ちでいるのかはなはだ疑問であるけれども、たしかに、金がなくても、むしろ遠くへ旅行へ行くよりも近場の海で泳いだ方が楽しかったし記憶に残っているのもたしかなことなのだ。それに、近場で過ごすことでお互いの生活は寄り添い合い、強いては、最後はきっと結ばれるのだろう。その最後の結び目は、僕の死によって永遠に果たされ得ないことがぼくの夢である。

 とまあ、かっこつけたところで彼女が僕の信条を推し量る程の労力を彼女にかけてもらいたくもないのが本当のところなのだ。僕は元気いっぱいに外へ出てあちこちふらふらバイクで移動していればいいのだ。ピアノなんて引くだけの力は僕にはないのではなくて、ピアノの前に座ってる程に僕の心は落ち着きを失っているのだろう。落ち着けば人間は、たしかに、心地よさを感じる。けれども、若者である私は動き回らなくちゃならない。折しも、友だちのいない自由のみに生まれたのだから。ああ、彼女に僕はいくらつぎ込んでも構わないような気がする。僕は彼女のためなら、宇宙船ソユーズに乗って火星へ送り込まれ、火星の石を採取し彼女にプレゼントするくらいの気持ちでいるのも、たしかなのだ。