軽い話

そう気負わないでほしい。構うのが面倒だ。ただ楽しみしにてくれればそれだけでわたしの気分も楽なものになるだろう、と言うわけである。愛とは何か、突然はじまる問いかけに面食らったろう。愛とは何か。愛とは、ないものを与えることである。ないものは与えられない。だから、与えられない。論理的に考えれば与えることのできないものを愛というのなら、愛とは論理的なかたちをしていないということである。では、愛とはなにか?愛とは愛することもできれば、愛と命名することもできる。前提として、相手について思うことが愛であることが書かれていない。書かないでいることでひとつのメッセージになる。愛とは、自分を想うことであるのならば、シンプルである。ただ、自分のためだけに生きることに卑しさを感じない現代の人間たちに絶望と嫌悪を催した三島由紀夫は市ヶ谷駐屯地で自決した。
愛とは、愛することである。愛し続けることである。それは、しかも神が!神とは私たちの痛みである。痛みを愛するべき人に与えたくないと考えることを前提に、愛について、愛するとは何かというと、神が自分を愛するように相手を愛せということである。だから、信仰とは、世間に住まう神を冒涜し科学信仰に気づかないでフロイトの無意識について、しかも誤解している解釈をする方々が、もがき苦しむことを、相手にもそうしいるような手厳しいものなのである。神が死ねば、私は許されない。社会契約の精度を愛について類推してみたところで、語り継がれる愛は破壊され、結婚式だけが愛であり、中の良さそうなふりをすることが愛である。ふりをするのも疲れるので、刺激を求める。同じ相手だと感じないから、相手をコロコロ変える。飽きたら変える。不幸になるのは、自分自身である。親から見捨てられた捨て子となんら変わりなくなる。
私は早急に結論はしない。