アウトプット

相手の視点に立ってみよう

言葉にできない気持ち?について

その気持ちは言葉にしなくてもいいんじゃないの?言葉にこだわらなくていいじゃない。こだわらないことにもこだわらなくていいじゃない。つまり、こだわってるじゃない。こだわらないということに。言葉にできない気持ちを、言葉にしないことにこだわっているじゃない。
なにが、こだわらない、だ。こだわってるじゃないか。しかし、考えは途中でやめなくちゃならない。自分の皮膚がやられるまで手を洗うことと同じだ。ほどほどでやめなくちゃならない。ほどほどとは手をつないで歩くことだ。それが楽しいと思えるほどにわたしは孤独でもない。人付き合いの激しさの隠微するものは、人間の孤独だ。彼ら社交家にとって孤独とは恐るべき事態なのである。人が本来孤独であるの、そんな話になるのでやめよう。人の本来のあるべき姿が、わたしは一番気に入らない。あるべき姿は他者を安心させるだろうか?わからない、とは言わせない。しかし、まじめに考えたところで、まじめな答えしか出てこない。言えば、どうでもいいことと言われることを言うことでどうでもよくないことをしないですむようにわたしは生きているのは確かであろう。それを、わたしはなんとも思いもしない。どうでもいい。人間について知りたいのは、私が人間について幻滅していないからだ。と、言うことを私は知るべきで、そこで私のとる手段は、相手の青臭さを笑うか、しかなさそうである。それで結構うまくいくものだ。わたしは何故いつも失敗をするのだろう。たぶん、死にたいんだろうなと思わないでもない。死ぬとは、わたしの未だ経験したことのない事態だから。黄泉の国までいってみたいのかもしれない。まるで死が恐ろしいとは思えないのだ。恐ろしいのは、生かされることである。生きることが苦しいと思うことがわたしには地獄である。もうたくさんだ。もうたくさんだ。楽しく生きるように、せせら笑ってみてもいいかもしれない。それができないんだ、彼女は。ジョークのほかに、ましな会話などなにひとつないことも確かだ。秩序についてもそうだ。哲学に関してもそうだ。ジョークが一番マシなんだ。