親嫌い

 親が嫌いです。嫌われることが当然であると考えることができない親だからです。親だって人間であると思うのです。だから、人間のように着ればいいのになぜか親であるという衣を着て一人っ子の私に迫ってくるのです。私は言ってやりました、手首を切ったことがあると、いつかときかれたので、正直に3週間前のことだといった。その時私は、3週間前だとちょっと古すぎるな、と思っていたのです。もう3週間も前のことだから、気持ちも今と全然違うわけですから。だから、私が言いたいのはつまり、過去の気持ちなんてものを蘇らせることでいいこともあれば悪いこともあるということです。互いにいい時期ばかりではないのは確かです。だらかこそ楽しかったことを思い出すべきなのに、親というのは何か一点の曇りでも子供にあればそこを突いて、まるで、自分が親であることを失格であるのは子供のせいであると言わんばかりです。親も人間ですから、親じゃない時もあることを子供は十分に把握していますし、親でない時があるほうがよほど子供も楽なのであります。その理由は、親が親であることの理由と同じで、子供は人間でありますから、子供じゃない時だってあるわけです。そういう互いに、そうじゃない時間を持つことがいかに大切でルカをここで強調することもやぶさかではありませんが、私が言いたいのは、もう鑑賞という態度で人に接してくるのはやめたほうがいいということです。親であるということを強調したいのなら、その提案は親からなされるべきでありましょうが、親であるというポジションに安住して、子供のことなんてまるで考えず、親とはこういうもんだという儀式遊びにひたっているのですから、あまり子供からしたらいい気ではありません。過去にどれだけ苦労したのか。記憶力のいい人が私は嫌いなのかもしれません。過去なんてものはなくなってしまったほうがよほど楽しく生きられるのでしょう。そう思わずにはいられません。いい思い出だけを思い出せばいいのです。何もかも記録しても後で口論になった時の火種にしかなりません。口論に出口はありません、心の痛みを伴う諦めしかないのですから。口論なんてものをしないようにすればいい話です。それならば、過去のことなんてもうかか釣り合わないことです。おもしろいことを覚えておけば十分です。