社会がおかしくても俺がおかしくても、もはやどうでもいい。私は別に社会なんてものを相手にしない。

 つまりは、漠然と愛のためにお金を稼いでいいところを見せつける愛の見せ方に飽きがきたのだ。お金があればお金に頼るだろう。そして、お金が無ければもう愛せなくなる。お金とはそういうものである。少し貧しいくらいがちょうどよくてお金持ちになって仕舞えば、愛なんてものはもういらなくなってしまうのだ。ただ居心地の良さだけがあるので、しかし、お金があるということはつまり周りの人間はお金を持っていないということになるのでどうしても稼がなくちゃならない、そういう理由でお金持ちは孤立してしまう。そのうちにお金も尽きて仕舞えば人の中に出ていかなくちゃならな、しかし、愛の感性が鈍ってしまうためか、もしくは、過去の自らの行いを否定する運動に関与することを嫌ってしまうので、そういった理由から孤立をさらに選び愛から遠ざかり、病気になる。過保護は人々を子供から遠ざける働きを持つので。遠ざけられた子供は嫌が応にも過保護者に依存しなくちゃいけなくなるのである。明日正直に話して、クレジットカードを借りよう。そうじゃないと、ぼくが壊れてしまう。ということで、ぼくはいい方向へ行くだろうと考える。すべてのことがね。働かなくちゃならないのは、たしかにそうだ。そりゃそうだけれども、働かなくちゃならないから働くというのはたしかに、働いている人にとっては当然の理由でも、働いていない者に吐く言葉ではない。働いている人は労ってほしいのであるし疲れているので頭も働かせたくないために、老人の繰り言のごとく労働讃美を根拠に家庭内で圧政を敷く。私は労働を讃美する人間の根底にある汚らわしい依存は不健康であるし、そういった心持で行われる仕事とは距離を置きたいと考えている。人がわがままになるのに正当な根拠が必要であると考えたことから私はいつまでもわがままになることができないのだ。私がバイトをばっくれることで迷惑を被る人は当然出てくるわけである。ばっくれたところで仕事をしたくはないのだし、あちらもさせたくはない。つまりは、こうやってしらみつぶしにしたくない仕事を潰しているのだ。どうしても、私は弱者を設定して、自分がその先頭に立ち大手を振るということをしたがる。そして、自分こそ弱者になってしまいかねないことを恐れてもいる。そうだ、いったい誰が真実を真実らしく語る人がいるだろう。優しい言葉を優しく語る人がいるであろうか。女性の感受性を私は讃美していたけれども、その強烈な讃美の仕方に女性はいやらしいものを見ていたのかもしれない。とにもかくにも、精神が安定してきている今の僕の状態を利用して金銭の獲得に向かわせることは私のするべきことじゃない。

 事務所に入ってきたハウルのようなかっこいい男がいたが、私からしてみれば、確かにかっこいいのだけれども、それは恋であってせわしなく運動をしているから、付き合っていて疲れるのである。私は付き合っていて疲れるような人にはならないようにしよう。黙っていてもいいものだ、面白い話を求める女は物事を考えていない。考えちゃいない。それか自分のことを話せないというのか。たしかに、話しづらい人はいるのかもしれないがそれは私がそういう人間を見出しているだけで、実際はそうではないことがたくさんあることも考慮しておくと、女性でお笑いを求め続ける人もそう多くはいないのだ。彼女が求めるのは生活である。愛をは二の次である場合が多い、体力は男性のほうが持っている。母は強しというのは、体力のなさを言っているのであって、体力はないけれども強さを見せつけなくてはならないという慣習に従ったまでのことである。

 私はこの世に対する意見を持っていない。ただ、この世と接触することであらゆる欲が出てくる。欲が私に伝染して、欲を持った私はあがき始める。この苦痛と付き合うことに私はとてつもない疲労を覚えるのだ。友人がいれば、もちろん会話もするのだけれども、その所々でよくが垣間見える。楽をしたい、ものを所有したい。そのためにはすべてを投げ出すのが彼らである。Oの気持ちはわかる。

 若いお年頃の女の子は、そんな人間が存在するとは思えないけれども、自分がしたいことを男にやらせたがるそうである。やりたくないというのは、彼女がやりたくないのであって、男がやれば、彼女は乗ってくるのである。行き着く先の一つの形として、夫を稼ぎの追いやり自らは家で家事をすることに行き着くのだ。女性が元気なのは当然である。また、夫が疲れて帰ってくるのも当然なのである。互いが思いやりをもって接すればいいということで、うまくいく話ではないのだ。いずれ無理が生じる、夫もそれに苦しむ。妻はさらに強烈になる。手を抜けば自らの生命に関わることでもあるのだから。

 以上のような、世の男女関係を私はさも知り尽くしているかのような自信をもっているが、要約すればこのような関係であることは確かである。夫が稼ぎ、妻が消費する。そういう社会であるのか、それとも私が夢見ているから社会がそのような様相をていしているのかはわからない。忘れえぬ人として、高校の物理の先生やOを思い出す。女性とは無縁の生活をしたい男性の気持ちもわかる。しかし、そこを操るのも男性の手腕によるところがあるのも確かなのだ。女性が活用され社会で男性のように経済的力を持てば、女性はいったいどうなってしまうのか。男性の財布を狙う手段を失い、世の中は浄化されていくのであろうか。女性の部屋のように過ごしやすい場所になるのであろう。ダンディズムを発動させなければ、楽園だろう。私は冒険を求めちゃいない。冒険よりも気持ちの潔さと風通しの良さ、快活さ淡白さを私は愛する。