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意識の言語化が行き着く先

 心理学的には言語化する事で内面を安定させる事ができると言われているけれども、そう言われていると私が勝手に思い込む事時代他人事のようでどうでもいい他人事に巻き込まれる事のほうが人生として楽しいと結論付けなくてはならないという皮肉に陥っているというのだ。しかし一体全体何処が皮肉だというのか、ただあまりに暗い未来に移ろいゆく世の中を憂いていながら恨んでいるにすぎないこの意識をどうすれば良いのかわからない。私の心の中には大衆に迎合してもう隠居なり何の意見も持ちたくなければ発言する機会さえ金に変えてつまらない事で思い悩む事を望んではいない事ははっきりしている。文章もあまり上でなくなり、他者に開示するだけの読みやすい文章をひねり出すにはそれだけの犠牲が必要で、他者の言葉に耳を傾けなくてはならないのだ。私のしている難しくもめんどくさい死にそうなくらいに頭を使わないようでいて使っている事業を誰が引き継ぐのだろうか。未来の私が引き継いだところで自分の首を絞めていると言われてもしょうがないだろう。私の各文章亜初めから終わりまで何ら行動に映らない戯言で私自身死ぬ事この病気から回復するだけの勇気も決断力もないように思われる。ただ、私が私を忘却するにをもって私は私の苦痛から逃れられると切望し期待しているのであるが、今日の不屈が否応無しに私を鮮明にする。腹が痛い。