私は音楽も全てあんまり今は聞きたくない。物事についても考えたくない。おそらくは着が動転しているのだ。世界が私を殺そうとしている謎と精神病かじゃを真似た退屈で聞き飽きたフレーズを連呼して文章を埋めるような真似もしたくなければ、皮肉屋を気取ってどんな言葉の裏側に矛盾が生じそれをあげつらって相手の面目を落とすような事もしたくない。私のしてきた事を後悔はしないけれども、長続きさせるきがない。少なくとも、長続きするような事はどこかその人の性格的な事が関係しているというあまりにも明確であまりにも残酷であまりにもつまらない事を書きたくない。私は誰かに私の身を委ねて外の世界へ行きたいのだ。私はもう死にたいのだ。そうしてくれる人がいないからだ。死ぬ事など怖くはない。死にそうなところを生き延びた後の人生のほうがよっぽど怖いのだ。死ぬ事はそれほど恐ろしい事ではない。言い聞かせではない。ただこれを口に出せば、今度は文章にするために再び死ぬ事を怖がり生きる事に執着する心が蘇りはしないかと心配しているのだ。私は心配性だからあらゆる事に疑いの目を向けて信じる事をしないでいる。ただ疑ったとしてもそれを許容できるのを愛だというのであるのならば、私は誰とでも付き合える男になるであろう。運命もなく、機械である。捨てられた機械である私の感情は、捨て子よりも美しく生きている人間でないからもっともっと美しいのだ。怠惰の中にある破廉恥な時間の頽落をもって私の人生を彩る妙な真似もしなければお墓を作る事もなしに灰となる事もなく消えていく。消える事すらないのが一番だ、私の存在自体に私は苦痛を感じる。体がなければ痛みを感じる事もなく、感情がなければ人を愛する苦しみも持たなくて済む。どれだけ人間は余計なものを持っているのであろう。知性がなければ金の心配もしなくてよい。あれば着がすむのは一時的で一度経てば、また、失われていくのを見るたびにもがきたくもなるものだ。健康サプリメントを貪る老人を笑って崖から突き落とし頭から血を流させて日本海を鮮血に染める事が美しい事だとは思われない。日本海が美しいと思った事すらないから、日本海は荒波の塩の味がしてそこに生きる人々は肌がカサカサに焦げており、手は分厚くしかし人々の気風は卑しいところがないので、息苦しいのだ。裏切られることもなく、裏切るような真似をする時間もない慌ただしさの中小さな欲望に忠実に生きる人間を見ていると、具体的に誰とは明言しないが、胃の中がムカムカする事がある。大きな欲望を持てとは言わない。ただ欲望を楽しむ人たちが私にはもう見ていて耐えられないのだ。その偽善、その嘘、その服従、その退屈を、そして大いなる弱さを私はそこに見るからだ。私は強いものに憧れる。それは筋肉的な弱さを克服しようとまた、その性来の運動神経の鈍さを克服するための努力をしている人たちも私は大嫌いだ。もう何者も私を認識する事なしに私はそういう死を待っている。私は誰も気にしない。目の前で人殺しを見かけても私はそれを特別だとも思わない。人殺しならここにいるのだから。