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疲れた論

 だからなんだと思う。生きてるからなんだと思う。疲れ果てているけれども、死にたいだなんて思えない。思うほどもないくらいに人生に毒されているのだろう。楽しい事は大して楽しくない。周りが楽しいという事は大して楽しくない。周りの人と同じ事をすれば、楽しさそのものよりも周りの人と同じ事をするということが楽しいのだ。僕の文章は破壊されている。そこを、頭が破壊されたからという理由からではないのだ。あまりにも、同じ言葉ばかり履いている。悔しい、と思う。思っているだけだから、大した事はないのかもしれない。人生から学ぶ事なんて何一つないと思っている。生きるか死ぬか、それだけで充分学ぶ事になるんだから。日々学んでいるのだから。何も考えないで習慣の中を生きていればいいのだ。いや、いい悪いの問題でもない。ただ、習慣こそが人生なのだろうから。私はどうすればいいのだ。そこに目的はあるのだろうか。私はこの世の中の人の考えを知り尽くしているわけでもないし、それを知ることもできないだろう。知ることさえできないのであるのなら、ともに作り出さなくちゃならない。相互理解は不可能であるのなら、相互にやり取りのできるものを媒介に、その媒介を作らなくちゃならない。いっそこの辺で、肝臓癌にでもかかって、死んじまったら楽だろうに、と思わないでもないのだ。きのう映画を見ていてそう思ったんだ。はじめは、こんな映画つまらねえし暗いしみたくねえと思ってたけれど、やっぱし見てたら面白かったよ。ゲラゲラ笑い転げるような面白さじゃないけどね。そりゃそうだよ、笑い転げるような映画なんてそうそうないんだから。ばあちゃん死んじゃった時、泣いちゃった。ここで、山田洋次はやっぱりすごいねなんてつまらねえことはいいたくない。彼女がどういう気持ちで見たのか、この映画を批評して欲しかった。ただ、昨日の映画はそういう類のものじゃない。もちろん、できないこともない。たとえば、狙いすぎたカットは野暮だとか。しかし、そんなところが人の心を掴むし、和ませるのには違いない。昨日の映画は、もっといろんなことを言える、語れる、そして、自分の思っている事を吐き出させる媒介になるものだったんだ。映画の名前が知りたいって?!なんだっけな、タイトルなんてワスレッちまった。もう二度と見ることもねーし、映画のタイトルなんてあらすじ覚えてりゃなんの映画だか思い出せるんだから充分じゃねえか。他人の記憶を利用して、いっそこちらは別の知識なり名詞なりを頭に叩き込んどきゃいんだよ。あー、疲れたなんて言葉を僕ははきたかないよ。疲れたなんてつまんねえこと言わないほうがいい。僕はそんな言葉は聞きたくない。聞きたくない。これが子供のわがままだと思うのだろうか、親は。愚痴じゃねえか。不満じゃねえか。それに、もっと言えば、子供への当てつけじゃねえか。いい気持ちはしねえよ。子供も人なんだ、親も人だ、だから、いい気持ちはしねえ。ヒューマニズムの嫌われるのは、そういうところにあるんだろうな。まあ、俺はどんなイズムでも、へえこんなもんもあるもんなんだなーと思うくらいだ。ちぇ、つまらねえ。つまらないわけじゃねえ。先が見えねえってったって、誰も先のことなんか見えちゃいない。見えている気がしているだけだ。映画のチケットを買ったはいいが、何が起きるのかはわからない。フィルムが盗まれるかもしれないし、映画館にテロリストが侵入、占領、そして、観客を射殺するかもしれない。何が起きるのかわからないのが怖いから、セキュリティーやらなんやらはじめて、先を知ろう知ろうとする。知れば知るほどに、退屈になる。こんな馬鹿げたことあるかよ。何が起きるのかわからないから楽しい人生だ、何て俺は言いたいんじゃないよ。ただね、可能性ばかり見ていて実にならない人生をなんだと呼ぶんだろうと言いたいんだ。人格者だなんて、ごめんだね。頭の固いじいさんでしかない。けれども、力がある事は確かだと思うんだ。権力だね。人間は判断能力が著しく落ちているから、そこで権力が否応なしに想像力も判断力も落ちきった人間に命令を出し、服従する側もなんの目標も気持ちもなしにそれに追従するってのがありさまだ。それでまあまあ、いい人生なんてものが遅れる。いい人生ってのは、つまりだ、うるさい家族がいて、つまらない説教をし、飯はまずい。これがいい人生だってことだよ。面白くもない話ばかりあって、わざと失敗して見せたりする。そしてそれが面白い話になり、一時期は流行する。なんだ、世間とかわらねえじゃねえか。それが、家族ってもんなんじゃねーのかな。しかしだ、テレビが作り出す流行と家族の興味が一致することはないように思われる。あー、めんどくさい。下書きなんてないほうがいい。全て実践で、あわよくばそれで死ねばそれまでというのがいいに決まっている。どうでもいいんだ、要は。僕が外に出ると、世の中の息苦しさに発狂したくなる。こいつらの頭の中にあるのは、家庭なのだろう。互いに拘束し合う家庭なのだろう。僕は幼稚化?僕の考えは幼稚化?そりゃ幼稚園生に失礼だ。ぼくは幼稚園生のクソ真面目な態度は気にくわないし、それに、その態度は僕と真逆だ。馬鹿だと言いたいんだろう。まあ、いいたけりゃ言えばいい。馬鹿と言って自分の立場が保障されるのならそう言えばいい。どうでもいいんだ、と言いながら最近は死ぬことについてあまり魅力を感じなくなってしまっている。下道で猛スピードで車を飛ばしても前頭葉がカーッと熱くなることはない。あの状態はすごい状態であった。見栄を張りたがるからね。ぼくは。そこをうまく利用してくれた、彼女のおかげであったのかもしれない。僕の今の人生ってのは、まあ、ぼくは人生から降りるよ。どうでもいいよ人生なんて。計画性でしかないじゃないか。それが遅いだとか早いだとか。それしかないじゃないか。自分の行きたいところへ行けばいい。しかし、女は保守だね。固いね。まあ、それは彼女に限ったことなんだろう。保守ってのは、自由すぎると自分がとんでもない行動に出てしまうから保守に走るってのと、それは身の保全だね、もう一つは保守と呼ばれる行動を実践することに反動を見出すってのがある。じゃ、リベラルはというと本当のってのを追求したがる。だから、伝統を変えるし、また、身を呈する。どちらがかっこいいかなんてのは言わずもがなだ。こんな話をできる相手がいりゃぼくもいいのになと思う。しかし、つまらねえからだれもきかねえよ。ああ、疲れた。そろそろ切り上げよう。