アウトプット

相手の視点に立ってみよう

体について

 呼吸をしている事を忘れがちである昨今の私の意識状況がもたらすのは二輪の転倒事故だろうかはたまた前頭葉が働きを失ってしまう事からくる停滞であろうか。生き生きとしているためには前頭葉の働きが活発になっていなくちゃならない。前頭葉に血流が流れている事がよくわかる事がある。私は2015年、14年にまさにその状況であった。わからない未来に対する不安からくるものだったのかもしれない。それは、執行される未来であって決して自ら作り出す程の未来でも将来でもなかったような気がする。ただいかにしてこの未来の現実から逃げ出すかを、災難から逃れるかという事を考えると前頭葉が働きだすのである。絵に対する愛情も、音楽に対する愛情も説教くさも去年に比べたら僕はだいぶ少なくなってきてしまった。同時に人当たりは柔らかくなり、それと同時にちょっとしたことにたいして気を使うようになり実に疲れるようになったのだ。彼女も僕に気を遣って欲しくないのだろうけれども、僕は大して彼女に気を遣っちゃいないのだ。ただ、だらだらした関係であるのは彼女も望まないところなのであろうから僕がそれを彼女の代わりに代執行しているようなところがあるのは確かじゃないだろうか。僕がそう思っていても彼女は何も思わないだろう。そういえば今日は熊本地方で震度7地震があったそうで、家屋も数頭倒壊した様子であった。私もはよく実家が潰れたらなんという損なことだろうと考えたことがある。地震で倒壊したり、火災で焼失してしまえば拠り所を失う気持ちになっていたのだ。僕は彼女に寄り添ってあげなくちゃならないんだ。そうじゃなくっちゃ僕は生きがいがないのだ。彼女が幸せになればいいじゃないか。楽しく横浜での生活を続けることができれば、もっといいじゃないか。しかし、彼女は体力があまりないので、どこそこつれまわすのはよくないことなのだ。まだ、生活に慣れていないところもあるのでゆっくりと足を伸ばしていくことがとても大切であるように思う。そうだね、映画を見るだとか温泉へ行くだとか。そういったことをするといいと思う。僕も気分転換を図れるし最高だ。恐怖とお風呂に入って思ったのだ。美容と健康は彼女の人生のテーマでもあるらしいのは私にはよくわかる。では、私の人生のテーマは?確実に冒険である。誰も経験したことがないことを追い求めるというよりも、自分のテーマに答えていきたいのだ。自分で自分にテーマがあるのもなかなか珍しいのだろう。周りにの人間は自らを抑圧してそれを力に体制側につく。体制もなにもあったもんじゃない。死んだ魚の目をした官房長官がのこのこ出てきて記者会見。政府一丸となって早急な救命を・・・口で言うのは容易い。実際に現場にいるのは消防隊員などであるのだ。なぜ、媚びへつらう必要があるのかしれない。金を与える側にいるわけでもないのだ。頭がそんなに大事だろうか。生命維持装置をつけたものが若い肉体を恐れて縛り付けているようにしか思えない。鈍さを武器にどなりつけたりもするものだ。まったく、じいさんばあさんが僕には苦手だ。彼らは若い人の意見を聞けばいいんだ。若い人も若い人で、じいさんばあさんのケアばかりしてるんじゃなくて、すこしはそんな任務を放り出して、優しい笑顔の裏に隠れて醜い動力に火を灯してみるべきだろう。力がない。力がこんなにも虐げられている世界もないものだ。上手く生きればいいと考える。ひょろひょろした肉体で、飯も喉を通らず、体力もない。そんな人間がいきるのに今の時代は手を貸している。車にバイクに飛行機に。力のないものはいったい不健康である。世の中が楽をしようと懸命である。しかし、その努力は決して自分の仕事を減らすことにはならないのだ。神経の方から重圧を押し付けてくるようになる。