アウトプット

相手の視点に立ってみよう

きょうのつぶやき

 携帯がないとクラスがわからないし今携帯を取りに帰ったら遅刻して白い目で見られることを想像すると行く気も失せるので行かないという理由の素晴らしき論理性。

 

 結局、純文学の表現は新鮮で斬新であること。文章が氾濫する時代において本を読む必要性は高まる。良記事を見つけるには良い文章で書かれた本を必要とする。ブログ記事がいつまでも退屈な共感性を得るために書かれるような文章を量産し続ける。

 

 客観性は感情においては存在しない。共感を求めるのは存在しないからだ。では、僕が愛情を求めないのは持っているから。そして、相手が好きだと言ってくるのは相手に愛情がないからだ。そして愛情は与えられるかの問題について。

 

 世間一般の人間は社会人になると大抵バカになる。金回りのことばかり気になる。ものの真贋を得られる努力を怠り評判でゴミ屑を買う。それで事足れりとするのが社会人である。経済は潤うだろう。つまり、ゴミ屑であろうともお金のめぐりが良くなることには変わりないのだから。点滴を打たれて一生寝床で過ごし体力も衰えていく。そんな若い社会人が増えて行く。これが彼らの幸せである。幸せというより安住だ。退屈な安住。あまりにも幼い。成長成長という言葉をつかうのは、成長できないからだ。成長を求める人間はきっと成長できないものなんだ。求めれば失われる。求めれば、去っていく。では、求めなければ与えられるというのか。おそらくは、そう考える方が楽であろう。人は楽をしなければ生きていけない。