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 アグレッシブであるべきだ。これを論理的に人に伝わるように書くことは不可能だ。あくまで私の理解のために書く。中途半端には書きたくない。だからといって、僕は分泌で生きていこうと妄想している。何が書けるのかよりも、何を感じることができるのかそしてそれを感じるために、何を犠牲にしているのかを知るべきである。一つの感情を持つことは他の感情を押し殺す。泣くということは、体にいいとされるが、それは泣くことの他の感情が抑圧されているからであろう。抑圧されたものが意識されないということで一つの癒しになる。

 

僕は長い文章を書くのが苦手である。学者の書く文章は全く読む気にならない。美しい文章を書けるようになるためにはやはり小説を書かなくちゃならない。彼女が僕に、小説?と聞いた時、僕は素直に潔く、うん、とは言えなかった。それは僕が社会にひれ伏したからだ。社会的な位置が彼女の一つの目である。しかし、僕は社会的な僕を捨て去ってしまっている。もっと言えば、社会的な僕はロクデナシだ。そんな自分いなってしまったのをあらゆる理由に見つける。他社の弱気のせいでもある。社会とは一人で生きてはいけない人のためにある。それは弱いということに違いない。集団になって力を発揮する人間が強いなんて道理はないはずだからだ。集団になると私はやる気を失う。力が奪われていく。私のお役は御免である。好きなようにすればいい。

 

人は言うだろう、ずるいと、恥ずかしいのだろうと。違うのだ、一人でてきることを皆でする必要があるのが気にくわないのだ。私の中には私だけいればいい。人はあらゆる論法を持ってどうしても嫌な奴と顔を合わせて笑顔にならなくてはならない理由を練りだす。実に不誠実で、不明瞭な理由ばかりだ。

 

僕はもっと動かなくちゃならない。新しいものがないと気にくわないのだ。三浦半島へ行くのだ。そうじゃなくちゃ僕は気が済まないのだ。そうじゃなくちゃ。