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なんでもない

 ぼくは死ぬときだってなんでもないというだろうか。どこまでも淡白になれるのか知らない。今の僕は淡白なときの僕よりもよほどに死んでいる。いろんな掟を見に受けて隣の人を憎むようになり、それが拡大されて電車の中で人に足を引っ掛ける。そんなイタズラばかりしている僕があまりにも冷徹でいやらしい顔をしているのだろうと考えるということは僕の中にそういったモデルがあるということだ。どこから植え付けられたのか知らない僕じゃないものが僕の価値観にいくらでも口を出し始めが頃に僕は死んじゃうんだ。いや、死ぬのもだるいから冷たくひところ言い放ってやればいいんだ。メディア論なんてやってる。何が目的外使用だ。知る権利の目的はなんだ。処罰感情じゃないか。処罰の執行機関が期待に応えてやると言ってるんだ。手を貸せばいい。バカな教授とも言わない。同じことを毎年しているんだ。俺にだってできるといったって、そんなに同じことを毎年のようにする根気は僕にはないからどうしようもない。引用すれば正確に記述したように考えるのはいつだって間違っている。オリジナルな文章を作り出せばいいじゃないか。学者は学者なりの掟があるのだ。それに沿って研究会へ行ったりしている。それで考えもしないでみんなで洗脳されて盛り上がってる宗教じゃないか。宗教学の廃れる気配は今の所ない。

 

ちなみに、美術館は嫌いである。行き過ぎたから。美術館にいくような奴が浅はかに見える。絵画が好きで入ってるのかい?それとも、君の子供時代があまりに簡素で絵画なんて触れたこともないから今のうちに心の栄養だとか言って急いで美術館へ見に行ってるっていうのかい。絵が好きなら、描けばいい。絵が好きならそれでいいでしょってのが、僕にはないんだ。好きならばどうにかして奪ってやりたい。こちらを振り向いてほしい。感じたい。君は美術館へ行って絵の前で手を動かしたことがあるか。それが基準だって?君の味方を僕に押し付けないでくれ。そりゃそうだ。ただ僕は嫌いなんだ。好きなものを語る人間が嫌いなんだ。君は嫌いなものでも好きなものでも語らなくちゃならないんだ。はじめてみたように。そう僕は嫌な奴なのかもしれない。誰にとって?そんなこと思っちゃいないのに。思っちゃいないことを書くのはおかしなことだ。文字数稼ぎだ。まだまだ僕の文章の密度は薄い。だからいつまでも飲めるだろう。トイレは近くになるかもしれないけれども。酔わせる気もない。暁の寺が近頃一番酔っただろうか。人生なんてないし、心もない。君が心と呼んでいるものを僕は見たことがない。人間にあるのは現象だけだ。反応だけだ。反応に全てが宿るんだ。怒りがあれば、その人は怒りを持っているわけじゃなくて怒りを隠しているわけでもなく、怒りを表現しているのだ。トラックから降りてきて僕の頭を殴りつけた人間だって芸術家かもしれない。その前衛的な暴力に僕はたじろいで犯罪性さえ乗り越えた芸術の存在を知った。芸術が自由であるならば、なぜ君は暴力をしない。館にこもってる。言わせてみれば君なんかに芸術は理解できない。芸術は理解するものじゃないからね。どんなものかって?そんなのしらねえよ。