アウトプット

相手の視点に立ってみよう

一周でベストタイムは刻めない

 僕には集中力がないから密度の濃い文章を書こうという気力を持つとかけなくなるという自体がハッセする。それによって被害を被る人間は誰人いないのだが。現代は目に見えるものばかりがもてはやされてしまっているような気がする。現代に対する問題を論じることほどつまらないことはないだろう。なぜそうなるのかという理由を見つけたとしても現在がそうであるのだから何も感じいることがないのだ。要するに外からの刺激が強すぎて自ら刺激を作り出す創造的な機会を現代人は失っている。この創造的な時間をもうけられない事態を招いたのは映像と音声技術の向上である。これは機械の向上であって人間は堕落した。車ができて人は歩かなくなり。電話ができて人は家の外へ出ることもなくなった。気分を一新することもなく、毎日同じ場所へ行き同じ場所へ帰る。道に迷った時の解決の方策も知らない。現代人は目的が明瞭で手段さえも限られた世界の中に生きている。テレビは同じニュースばかり報道する。世界がテレビの中にいるのだ。友人の会話さえテレビやテレビのネタを模したネット記事だ。この事態をどうするのか。君が生きていなくても大体の人間が多数存在することについてどう思うのか。君は、君という個性を殺したくて仕方がないのだろう。個性という言葉さえすでに古臭い。個性とは、不快なところから去ることだ。僕の観念する現代人は一体誰だろう。僕は具体的な人について話してはいない。現代は大変に具体的な時代だ。ある特定の人についてキャラを持ち合わせさせる。しかし、そのキャラさえ今はなくなり。もう個性よりもただの日常性を生きている人間が多すぎる。それが平和だというだろう。確かにそうかもしれない。しかし、それが生きる活力になるのか。なるのだろう。毎日同じことをして小さな変化に気付き。誠に現代は女の時代だ。平和な時代を謳歌でき、退屈を我慢して過ごせるのは女の鋭敏な感性でもって物事を捉え遊ぶ気持ちがなければ、鈍い男にとっては鉄の塊のような世界だ。戦争は、男の権力を十分に見せつけ女に吐き気を催す汗臭い復権の手段だ。僕がこう論じても世界は動く。僕は世界から放擲されて気分はどうだ。寂しい気持ちもある。もう言葉について規制もない。責任もない。言いたい放題とはなんと悲しいことか。制限があるとはなんと息苦しいことか。どうともなれという気持ちはなんと強いことか。またこうなれという気持ちのなんと強いことか。僕はある出来事について論じたいのだけれど、その出来事が見つからない。それは僕が見聞きした情報から始めるべきだけれど、僕が見聞きした情報の価値を社会的な秩序の形成した価値基準と照らし合わせてみる癖がついてしまった。そのために、僕は自分の価値を落とし、そして自分という人間を壊してしまい変化させることに興味を抱くよう仕向ける人たちを軽蔑するようになった。まだ僕は僕に帰りたいのだ。周りの人から変わっているねと言われても、その変わっているねという言葉を間に受けていた僕はバカだった。挨拶に過ぎないのだし、社交辞令にすぎなかった。話題がないから適当に話をしてみた相手の言葉になぜ僕は苦しめられているのだろう。僕はおそらくは、その事実を否認していたのかもしれない。僕が何もしないから話すこともない、そこで僕に適当な話をしたのだ。僕に関心がない。それを僕自身が認めたくなかったのだろう。関心を集める方法が僕の場合は下手なのだ。僕僕と喚き立てるのが一体子供らしいだろうか。大人と子供と分けることをもう平気でしている。人を殺すよりも、人を無視するほうがいかに残酷か。無視されるよりも殺されたほうがましだ。しかし、無視されるということは干渉されないということでありまたそれゆえに僕自身の感性が試されてもいるのだ。僕は果たして生きているのか。おそらく答えは出ている。僕は死んでいる。僕の心臓は動いているし、指も動いていてパソコンのキーボードを打っている。しかし、僕の心は死んでいる。心で何も感じないわけじゃないことはわかってほしい。感じることをやめてしまったのだ。しかし、はじめようと思えばできないこともない。僕の感性を誇るのもやめたほうがいい。いつだって自分の思い込みは感性を殺してしまうのだから。人の話も聞かないほうがいい。人の話は、自分がそこに発言権を持てる時のみきいてもいい。話を聞くということは、すでに話を納得しているということだ。星座占いもやめよう。僕が熱中しているものをすべて手放そう。そうすれば僕はまた新しいものを追っていけるだろう。僕はどうしてこうもひねくれているのか。ちがう、社会がひねくれているのだ。僕は自分がひねくれているとは思わない。僕は生き残るためにひねくれたのだ。ぼくは退屈しのぎにひねくれてみせたのだ。僕の本性など誰が知ろうと思うか。ある価値がある、そればかりを追っていく。そして賞賛を得る。しかし、その賞賛を得る行為も儀式である。心から感心している人間はいない。校長先生のスピーチである。こういった配置で遊ぶからよろしく。ルール説明である。何度も言う、僕は生きながら死んでいるのだ。僕は実に暗い人間だ。それは根が暗いわけじゃない。岩に染み入る水のように、苔が生えている。緑の。僕は苔だ。ぬめりのある。踏んだらすべる。僕の心に訴えかけることができるのは水だけだ。言葉の選択。自由。自由。