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 ぼくはバカである。バカであるから救いようがない。こんなぼくが何をできるだろう。今更何をする気もない。肉体から逃げ出したいくらいだ。こんなに気持ちの悪いことはない。よくも然り。それで、逮捕されるなんて馬鹿げている。何より気持ち悪いのが、テレビで笑ってる人間が逮捕されるってことだ。なぜ気持ち悪いのか。それはテレビがこぞってそういう人間を出したがるからだ。逮捕されても、活躍しても金になる。マスメディアは下衆い。非常に気持ち悪い。これをもとにお笑いなんて、笑えない。全く笑えない。笑えるお笑いもある。しかし、芸人がコメンテーターになるのはいけすかない。バカがバカを貫き通してなんぼであろう。にもかかわらず、笑いではなくて共感を求めるお笑い芸人が大嫌いだ。面白くもないのに、ちやほやされて、その奴隷になっている姿が嫌いなのだ。笑われれば、これはつまらないんだと退屈できないのか。笑を敏感に察知して生きるのもありだろう。しかし、気疲れは相当なものだろう。当の本人が好きでやっていることなんだから、体力が持つまで好きにさせてやればいい。占いももうめんどくさい。心理学なんて興味がない。温泉には色黒横剃りヘアースタイル。変な人ばっかりが増えた。普通にすればいいのに。普通が一番難しいのだ。おかしくなる方がむしろ楽だ。狂人は楽をした結果に過ぎない。普通であることは、共同体の中で自分を殺すことだ。見える世界は同じようになり、同じように苦しみ同じように笑う。ぼくにはそれが耐えられないだけの話だ。それを軸に生きていこうとも思わない。結局嫌なことを通して人間は学び、一生学び続けるのだ。苦しみは一生続く。そう思えば、刹那の喜びにも目が向くのではないか。刹那であるからこそ、いいのではないか。いつも面白いことばかりでは退屈ではないか。退屈とは幸せである。平和である。面白いことの背景にあるのは、面白くない暗黒の世界である。人々の暗い影をぼくはみた。もう見たくない。この目をどこかへ打っちゃってやりたい。ぼくがこれ以上何かを背負うことは無理だ。日本語だってどうだっていい。伝わればいい。なに、基準があるじゃないか。どうだっていいってわけじゃないみたいだ。ぼくはこうして、こうやって、一生悩んでいる姿を書き記すわけだ。どうりでぼくはバカだと思った。懸命になる努力とは、努力そのものだ。川の流れに逆らって歩くようなものだ。努力する人間はひねくれている。目標を持つ人間もまたひねくれている。ひねくれものが社会に君臨する。実力はない。ただ、同じようなひねくれものが集まり、実力があるかのようなポジションに就く。それを世の中では、特にひねくれたものの言い方をする人間は、それこそ実力だと言ってのける。こうなれば水掛け論だ。出口はどこにもない。うるさければいいのだし、声が枯れてもバトンタッチできる仲間がいるから、その喧しい声は嘆き続ける。彼らは精神を失っているとしか思えない。精神を捨て去ってはいないだろうが、精神のない奥を照らすことをしない。いつも、自分と似たものを探してはそれが活躍している姿を見て喜ぶのだ。なんとじだらくした人間だろう。占いの根本にあるのも、それだ。同じ出自の有名人が活躍している姿、活躍した姿を見て感動するのだ。この精神が、この魂が、あの肉体を借りれば同じようにスポットライトを当てられる日が来るのだと。本人はスポットライトなど臨んじゃいない。ただ、夢想の中で戯れるのが楽しいのだ。それで変なことをしないで済む。強姦致傷、という言葉は棘しい。女を力づくで押さえつけるなんて、ずるい。力で女をやるなんて。それにまつわる女の反応にも忌まわしいところがある。それをひけらかすのは、よくない。しかし、やっぱり一番気持ちが悪いのはマスコミだ。突然消え去った芸人を追いかけたりする。復帰させたりする。テレビの凄さ、凄みを見せつける。作り手の顔は見えない。人物もわからない。どんな人間かもわからない。そんな奴の作った作品に一喜一憂する人間も嫌いだ。テレビは、本質的に嫌いだ。大勢の家族がその精神的なつながりを偽装するのにテレビを利用するのはよくある話だ。儀式である。テレビは、見る人間に情報を与えてそれを自由に使いこなすための道具ではなく、テレビを見るという人間の儀式である。テレビを見て、台風を感じる。決して外へ出て台風を感じようとはしない。メディアを盲信すること。それが、現代の、特に若い人間の信仰である。神よりも、メディアを信仰するようになる。メディアは神である。そして、再び人間の思考力を減退させる。総白痴化社会は現実化した。彼らはテレビで使われた言い回しを多用し、文章も似たり寄ったりだ。味わう気持ちはなく。舌も、おいしい、ということしかわからない。要は、鈍感になったのだ。心に脂肪ができているのだ。内臓脂肪よりも、もっとタチが悪い。それで死ぬことはない。しかし、生きることが辛くなるのだ。従って、結果的に首をくくる羽目になることもあろう。現代はいかにメディアを視聴することで飲まされた毒を口から吐き出すか、が課題である。メディアは人を一定の方向に動機付けさせようとする。それを利用する人間の魂胆はもうわかった。気持ちもわかる。しかし、あけすけだ。だから、バカにしているのかと言いたくなる。バカにしているのだろう。そうでなければ、あんな偉そうな態度を平気でとることはできない。ぼくはくらいだろうか。ぼくはルサンチマンであろうか。ぼくは何を妬んでいるのだろうか。ぼくが、テレビを利用する立場にあれば、いろんな意見を載せる。毎日同じコメンテーターの人間の意見を聞かされ、それを飲まされ悪酔いするのはよくない。世間でいうニュースは、人心を荒廃させるだろう。健康のためには体に良い食べ物を体内に摂取する人間が、五感に訴えるものに関しては、ニュースを望む。知的好奇心を捨て去り、日経新聞を読むことが大人な生き方なのだ。働いて、高額な車を買い、それを街で自慢する。メンテナンスのためにまた働く。それがスマートなのだ。機械の仕組みについては、何も知らない。タイヤの前輪が回っているのか、後輪が回っているのかも知らない。知らなくていい分、知っていることを知らない人間に売りさばいて、それで得た金を知らないことにかける。飽きないのか。達成感というよりも、傾向と対策。パターンが崩れれば身動きも出来ない。だから、株価の乱高下が今後の人生の荒波に見えるのだ。そういう人間がいるのか知らない。そういう人間がいても、自分は違うというだろう。書き手の心理を考えるだろう。なるほど、書き手は自動車を持っている人間を妬んでいる。田舎では車があって当たり前なのだから、おそらく都会に住んでいる人間であろう。都会で心が荒んでしまったのだろう。田舎で静養すればもっとお気楽に考えることができるのに。可哀想だ。そう嘆くのは、私だけではないはずだ。おっと、この書き手は妙な言い回しをしやがる。精神がおかしいのか。バカなのか。バカにされることを恐れているということは、普段は賢いふりして周りを下に見ているが自分では薄々己の愚かさにうんざりしそれを自覚しているのだろう。等々。考えられることは沢山ある、しかし、考えないようにしている。一つ考えると、いくつも不安を引き連れてやってくるから。不思議と今のぼくに後悔はない。しかし、反省はある。反省と言っても、考えるための材料として使っている。考えきれているのか。それを判断する第三者機関が必要だ。考えるとは、感じることだろう。そして、ぼくは今感覚が麻痺している。考えることができないでいる。それは飽きたからだろう。世界一周旅行でもしないと、また、精神の広がりの世界に静養させないと休まらないような気がする。近頃はなれない料理に悪戦苦闘。まるで、セカンドライフ。悠々自適に満面の笑みでおぼつかなく包丁を握りまな板でトントンざっくり切っている音がする。何を切っているのだろう。これまでの自分という連綿とした記憶のフィルムだろうか。それとも、家族からみられていた自己像であろうか。家族の元へ帰ることで、人間は自分を再インストールできる。家族の前での自分に限るが。包丁の音は、何を切る音だろう。好きな人との縁だろうか。好きとは何か。気を許せるということだろう。ぼくは人に気を許さない。許せばまた気が変わる人間だから、気を許す意味がわからない。匂わせるくらいがちょうどいいのだ。ぼくにとって。気持ちを言って欲しいのは女だ。女への言葉は供述調書だ。未来の裁判のための資料となる。ぼくはやっぱり文系だ。文から頭を動かす人間だ。理系は、図形から頭を動かす人間だ。ものをよく観察しているのが理系で、ぼくは人や言葉社会といったどちらかというと子供にとっては面白くないであろうことに注視してきた。一人っ子という環境が災いしたのあろう。文系はバカである。しかし、バカがいっちゃん魅力がある。そう強弁したい。本当はそうでないことくらいわかっている。社会でぼくがどこにいれば一番快適に過ごせるのか。その場所を探したほうがいい。日本では社会より人間が変わる。アメリカでは人間より社会が変わる。個人主義とは何か、今では死語になりつつある個人である。個人主義とは何か。社会が個人に干渉してくるのを避けるのが、個人主義だ。干渉したがるのが日本人だ。仕事は何か。年齢は。どこに住んでいるのか。職務質問が日本人の、特に地方の人間の口からよく発せられる。一方で、外国だとどうであろう。つい数分前にあったことから話を始めて、中間あたりで職質をかけてくる。どちらにも形式はある。しかし、入り口が違う。まずは私は怪しいものではないということを、日本では社会での活動状況にみる。あっちでは、個人の経験による。だから、日本の社会は鋳型を作る。とても、精巧な。質はいいであろう。しかし、内部まで鋳型にはめられるのはごめんだね。さて、今日はこの辺で。今からポストを見てこよう。