アウトプット

相手の視点に立ってみよう

きみのね

世の中偏見に満ち溢れている。偏見とは秩序だ。夜中歩いている奴はろくなやつじゃない。これは偏見だろうか。福岡はファッショナブルな都市だ、特に天神は。これを否定した。博多美人はいるだろうが、服を着こなせているのかどうかそれは個人の好み色眼鏡で見たときに美学的印象を与える服を着ている人間が福岡にいたという経験話である。それを、福岡に行ったことがないのに否定するのはおかしいというが福岡がファッショナブルな都市だというのもまた、おかしいと言わざるおえない。このようにして、福岡に行かずとも福岡が服の流行に敏感でセンスが良い服を着た若者を多く見かけるという主張に一石を投ずることができる。問題を、私たちの認識に変えたのだ。問題のすり替えというが、問題はすり替えられるためにあるのものだ。ある一定の人間のわがままがそのまま通じるようなある種の、ある個人によって限定された問題の判断枠組みの中での、問題の解決は個人の嗜好を示すものであり公的にまた、周囲のものを巻き込んだ解決にはなっていない。大方個人が満足すれば解決なのだ。そこに正義の余地はない。もっとも、正義が存在するのかの議論がある。正義の定義を曖昧にして、正義の持つ言葉の力が起こす諸問題を取り上げれば自ずと正義の意味も定まってくるものではないだろうか。戦争とは両者互いに自己の正当性または正義を持ち出し互いに殺戮をおこなる。この事実をもってすれば、正義とは他者の領域を侵犯するための口実に過ぎず。正義が勝者になったときに敵に対する哀れみを忘れてしまえば、最早正義とは暴漢に過ぎない。僕は世の中に絶望していない。人々は各々が文句を言いながら生活を送る。笑顔は屈託もなく本人