アウトプット

相手の視点に立ってみよう

失敗を話せる仲に

 失敗を恐れるのは、その話を聞く相手側だ。僕自身が恐れているのではない。失敗をして恐れるのは、失敗をした自分というふうに僕を語り始める周囲の評判だ。失敗がなんだ。失敗もできなかったような貧しい人生なんてクソ食らえ。失敗が悪いというのなら、成功はいいのか。成功した人間がどれだけ自分との対話を無視して突き進み愚行を犯して最後には自分との対話に戻ってくるというのか。一皮むけて大人になりました。経験を積みました。アホらしい御託を並べて成功の先の失敗に口を傾ける。アホらしい。好きでもないことをしているから、つまらないんだ。女は人の顔を見分ける能力に優れている。聴覚資格味覚どれを取っても、感覚に属する類の現象を細かく見極めているのは女性である。またそのため記憶力も抜群にいいのだ。それがために敏感になり過ぎた女は己の感受性が己に向けられ神経が参ってしまいかねない。外へ向けるには、家に引きこもって子育てをしていれば面目が経つといった伝統的な生き方と、もう一つこれから伝統になっていくであろう共働きの子育てをしやすい世の中にしていくのか・・・。しかし、こんなことは政治家のバカどもが考えることだから口を控えよう。政治の話はとにかくもてない。面白くない。面白いかどうかで政治を判断するのがよくないというのもまた頂けないのだけれども。そういうクソ真面目なバカほど奇想天外な社会を作り始めるものだ。面白ければ世に不満もなく社会は円満で。政治家なんてやつはいなくなり。意見のある奴が政治をするんだ。何も古代氏族社会と変わりやしない。バカみたいな話だ。そんなときに芸術が顔を出す。つまらないことに突っ込んでると感性が鈍っちまうよ。それは本当かい。ああ、本当だとも。本当と言ったからには確信があるのかい。証拠があるのかい。そんなものはないね。ないものを信じろってのかい。参ったね。世の中ないもので出来上がってるってのにね。寒いってのはどこにあるんだう。暑いってのもどこにあるんだい。空腹はどこにあるんだい。ないものが中心なんだよこの世界は。物はないものの代理さ。しかし、ないものを外してものを見る力があれば、すごいだろうね。人はものの認識に対して気を払っちゃいない。また思いつきで文章を書いてしまった。一体僕は文章さえも自分を縛る一つのツールとして認識するようになってしまった。考えるということは、僕の頭が書きたくてしょうがない熱病に侵されることだと確信しているのだけれども、どんな言葉を書いてみてもそういった情熱に苛まれることもなくなっている。小説を書こうとなんども思っちゃいるけれども実践できていないのだ。情けない次第であるが、こうして反省している暇があれば今この瞬間に小説を書けばいいんだ。そうは思わないのかい。僕の第一にとしてやはり行動がある。行動は念入りに準備されなければならないが、準備のために頓挫してはならない。また、気を削がれるようなこともあってはならない。僕はピアノを弾くように文章を作成する。あらゆる意味のクソの詰まった文章を解脱させる。洗浄させる。それこそが僕の文体だ。意味は何かと問うてくる人間がいる。僕は意味なんてないと思う。また、人が話すときにその動機とやらは本人にもわからないしこちらの想像でしかない産物だ。天気の話ばかりする。ああ、天気が変われば人の性格も変わるのでしょうか。ユング先生曰く、感覚型と思考型が世の中にある。思索にのめり込めば不快な感覚は忘れられる。男は大体にして思考型である。ここで男女で特徴を比べることをするのもやめよう。もう男女を区別したってしょうがないじゃないか。男はもう、女の気持ちを吐き出させるような努力をしなくても女が勝手に糞を撒き散らすようになってホッとしているのだ。三種の神器にも似た、社会的な装置の完成であろう。その代わりに余暇のできた男はどこへ行くのだろう。どうでもいい。男という時一体誰を指すのかわかりやしない。社会っていうのは、人間の思考をも侵略してくる。そこに感覚はない。感覚の麻痺した社会的状況が人間の思考を固定観念で物事を見るように教育してくれるのだ。一定の観念を疑わずに保持し続けることほど、楽なこともなくまた同じくらい辛いこともないのだ。本当に楽なことは固定観念など捨て去ることなのにね。きみのさみしさも人への期待も不安も全て固定観念がもたらすことなのにね。それを捨て去るってのはなかなか難しくて一度社会から外れなくちゃならない。それができるのはギリシャで言えば自由市民であって日本における奴隷中心社会において、それはもはや会社の社長も平野社員もみんな奴隷であるというなんとも余裕もなければ生きていて楽しくもない社会のことなのであるけれども、それから一度出て見るような体験を読書なり芸術なり熱中なりでしなくちゃ、わからないんだ。お役目のできる歳になれば僕も自然と役に立てるようにどこかに落ち着くだろう。