アウトプット

相手の視点に立ってみよう

きょうのニュース

 つまりは、ニュースなんて見ている暇はないのだ。暇は暇人なりに時間の潰し方を見つけなくちゃ。もちろんある。しかし、後ろめたさがある。まだまだ素人だ。叶わない。外に出ればカラスがいる。ゴミ袋をあさっている。私もゴミをあさらなくては、と焦燥する。こんなことばかりが続けば、ゴミさえ宝に見える。神々しく光っている。いきなり倒れる人もまた、神々しい。突然死をした雨宮まみさんよ、どこへ。私は彼女を知らない。作品も知らない。しかし、若い人に人気があり、40歳を迎えるにあたってどう心構えをすればいいのか、臆面もなく考えそれを記事にしていたらしいことはニュースの前書きで知っている。「40歳で死ぬのは惜しい」「自殺じゃないのか」等々のおきまりの反応を記事に並べる。取材もしない。反応を記事にする。金にはなるだろう。

 良寛についての本を読んでいる。ついての、というのは良寛著作の本ではなく、良寛の残した歌についての解説本で、その歌から良寛像を作り上げようとする書物であるから、良寛についての本なのである。もし、良寛が自書伝を書いたとしても僕は読む気にならない。解釈こそ自由であるべきで、自書伝は自己同一性の一手段であり個人的な営みと言える。それならば公的な営みは何だというだろう。それは私心を捨てた態度で事に挑むことだ。僕は一体自分を忘れなくては幸せになれない。好きなように生きるには、まず自分という荷物を捨て去らなくちゃならない。自分の反応だとか、自分の考えだとかを固辞する態度は、実に重く肩にのしかかってくる。

 バイクもそうであるが、軽いに越したことはないのだ。風こそ自由人の愛する自然である。水の清澄さは幻であるからに美しい。風はみえないからこそ気も楽になる。水と風にふれてバイクに乗りたいものだ。

 私は私について一切何も言えない。一切何も言う気はない。秘密主義ではない。それが私を不自由にするから何も言わない。すぐに行動するのは私にとって確かにポリシーではある。しかし、体がノーと言えばそれまでだ。行動は起こせない。不可能だ。要は、いかに自己をだまくらかすかということ。自分を騙してくれる人に最大の魅力がある。僕はそう思うし、皆だって少しは心当たりがあるはずだ。映画だって小説だって皆嘘だ。君を騙すものだ。しかし、嘘から出た真。何が本当で何が嘘か見極めているうちに人生は終わるだろう。何もなしえない後悔よりも、是か非かに拘泥された人生のなんとも弱さよ。

 私は私の内面世界から逃げる。