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言語分析。君の言いたいこと考えていることで胸につっかえていることを指摘し吐き出させること。それがどうした。僕は考える能力を失った。というより、動機を失っている。いけないのは僕だろうか。そうだろう。まあいいさ。多言は慎むべきなんだ。僕がいかにつまらない人間か思い知らされるようになってからというもの。僕自身の感性が向かう所敵なしの状態で冬の夜空を見上げながら裸で富士山を登山していると。犬がやってきた。その犬は茶色い色をしてい僕に近寄ってくる。近寄ってくるものを追い返すようなことを僕がするはずもなくかといって貧乏神は追い払いたい。たとえ、向こうからやってきてしまっても。日本語がおかしいと言われる。僕の話す日本語はおかしいだろう。自分でもそう思うのだが、それを気にしたところで僕は僕に譲歩することができないのだ。まるで似合わない服を買ったときに僕は、似合う似合わないは他人の賞賛があるかないかによるのだということを知った。いいか悪いかは絶対的に他者に委ねられていると。特に、こだわりのないファッションに関しての良し悪しは。しかし、良寛的にそれさえも克服されるべきだ。僕が恐れたのは、思想的にまたは感覚的に自己を無視できる人間がいるということだ。彼らは承認を求める。いやらしいほどに。彼らは承認を求めて嘘をつくし自分を痛めつける。見ていられないくらいに不自然で内面には鬱屈した感情を溜めることになる。僕は再び夜空を見上げた。星はいつも規則正しく輝いている。いったいなぜヒカルのか。光源は何から発生されるのか。ブラックホールをくぐったら何があるのか。何もないことがあるのか。様々な想像をかきたてる出来事に出くわして豊かな世の中にするのは僕自身の認識に他ならないじゃないか。その認識は言葉によって培われるわけであり、確かに精神分析は西洋に生まれた禅のようなものだ。厳密性を要求し神経質な人間がその神経を傷つけながら毎日日々を送り職を得る。病理的な性格が商売に反映されるというのだから面白い。人は病める主体である。従って、昔の王様の残虐非道さこそ健康的であるように思われてくるのだ。

 

 雪こんこんと舞う

 

きょうは雪が降った。風に吹かれて斜めに流れていく雪。風に舞ってあちらこちらへ舞う雪。そんな僕に合う服はなんだろう。決してあの服じゃないことは確かだ。なぜ買ったのだろう。シュッとした見た目に惚れてしまったのだ。しかし、どうにもあつい。そして、じゃっかんきついのだ。もっと余裕のある服を買えばよかったと後悔しないまでもないが、冬は重宝するだろう。なにせ暖かい。下は薄手で十分だ。ヒートテックも必要ない。ただ、ヒートテックの肌触りは好きだ。それに、ファスナーが首元あたりまで来て少し邪魔だ。それをオシャレと周囲に取られるのは不快だ。僕は腰つきが気に入っているのだから。今日という日も去ってまた明日という日もさりながら永遠に流れていく時間。その時間を人間の手から離して仕舞えばいいのかもしれない。反知性主義とはいうけれどそれは、現在の知性へのアンチテーゼであり、統合が予定されているのだろう。喧嘩になることはまずないから安心しても良いように思う。

 

 かっこつけたくない。だって、かっこつけるのってかっこよくないから。