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なにものでもなくて

 現代文明に嫌気がさす。彼らは感情を持たない。人間に興味を持つ。オゾマシイ。人を見ようとしないところに人がいるのに。そこをみない。表面ばかり。僕が悪い。悪いってどういう事だ。僕は何も悪い事をしちゃいないじゃないか。論旨が明快であればいいのだが。自信なし。書くときに力が湧かないのだ。所詮思い込めた事をかければいいのだ。かけた事はそう信じる事ができたという事だ。今は信じる気力さえないのだ。せめて、疑う事をしないくらいだ。疑う事をしないので、全くもって、不自由だ。自分という人間のアホさ加減にイライラもするのだ。僕を救ってくれる人を待っているようだ。そんな人物ではなかったものを。一体どうしたというのか。くそまじめにしていればいいのだ。社会なんてものを真面目に捉えると気が狂うのだ。社会をそう真面目に撮るのはやめたほうがいい。彼らは何も考えちゃいない。こちらがあれこれ考えて邪推している間にもう社会ってやつは気が変わってる。こんな糞野郎に付き合う時間なんてないのがオチだろう。僕はいい経験をしたいと願っているが、そのいい経験ってやつは社会的にいい経験であれば誰にでも話す事ができる。それは嫌味にまちがいないのだけれども。僕は私見に満ち溢れている。感じた事を口に出す事ができない。どう感じるべきかという事ばかりが頭の中をぐるぐる回っている。これは緊急事態だ。僕以外の何者かが私の内部にやってきたのだ。僕の言葉がすぐに社会的性質を帯びようと、武装しているのを目にする。おぞましい!平穏な生活にみえる家庭もなんとオゾマシイ情景を持っている事だろう。許せない。私は許せない。姿勢のいい人間、かっこつける人間。すべて心の底から許せない。嘘ばかりついているくせに、嘘でないと太鼓判をおす社会も許せない。徹底的に憎んでいる。何が占いだ。何があっさりだ。どれだけ憎んでると思ってるんだ。糞みたいな人生を送るくらいなら温かい場所で自適に暮らせたらいいだろう。昔々の偉人様が現代に降り立てば、ソクラテスが現代に来ればどうだっただろう。道に座って通りすがりの人間を見て哀れむ事もなければ真剣な眼差しで彼らの無盲目て生きるために生きている姿を見て驚嘆するであろう。なんと情けない現代人であろうか。まちがい無く、ミス無く生きるようにしている。幼さを武器に徹底的にバカになり失敗ばかりしている。それは僕の事だ。しかい、僕はこの失敗を愛しているんだ。そこに問題がありそうだ。そこに。拙いながらも僕は自分を言葉にして表す以外に方法を知らない。僕はカメラを持ち歩き僕の大事な人と歩きながら写真を楽しむ事が僕の本当にしたい事なのだ。料理だって好きだ。自分で作って食べる。食べてくれる相手がいる。これは泣きたいくらい嬉しい事なのだ。僕は確かに精神的に脆い。弱い。それは相対的にはそうかもしれないが。僕がここに内面を吐露する事がおかしいってのかい。内面の吐露こそが閉塞した社会状況にふさわしいのだ。イタリアラテン系文学を読んでみたいと思っている。バイクで神保町へ行きサクッと本を買ってきたい。それが今日の俺の目標ってやつよ。