アウトプット

相手の視点に立ってみよう

タイトルの名前を僕のカルテとでもしようかな。

 私が書いているの18禁だろうか。法律なんてぶっ飛ばして書きたい事書いている。それにしても、自分のしたい事考えている事を実現する事ってのはつまらない。コトコト事。事について調べる。自分の癖をみつけることだね。記事はちゃんと読まなくちゃ文意は伝わらない。もっと言えば、記事の文意は伝わる事ができない。書いたものへの質疑応答が最後だ。そして、書いたものは改変を求められる場合もあるのだから。大事なのは討論の仕方である。何か名声を得たくて変な事を言って気をひくってお笑いのやり方の中では最低だ。やはり気持ちのこもった話ってのはいいね。文章にすればつまらないかもしれないが。そういえば、2011年から2015年にかけては文章が優先されたね。文字に対する感度。語感。そういったものへの潔癖さがあったけれども。今はないね。文字で表現が足りないのでは無くて、文字による経験が少なくなったのだ。まして、読書をしない人間が増えて生きているのを痛切に感じるのはまるで、家電の保証書に書かれた文章のようなカチコチした文ばかりが目立ちそれをわかりやすいといってやがる。わかりにくくたっていいじゃないか。わかりやすさばかり求めれば、人は狭くなる。わからないことが面白いんじゃないか。どうなるかわからない事が。不安がこわいって話だろうけれども。どうも、付き合いきれねーな。そんなに疲れているのかね。僕には理解できないな。疲れてもいない。怠けているだけだ。こき使われている何者かへの不満だろう。金が欲しいという人間は金を欲しちゃいないんだ。わかりやすい入りだ。本当に欲しければなんでもする。殺人だってするだろう。使えやしないけれども。金が欲しいんじゃない、金を使いたいんだ。そういえばいい。その金が誰のカネであってもいいわけだ。専業主婦なら夫の金。どらむすこなら親の金だ。勝手に使ってればいい。そんな事俺に言われてもしょうがない。これからまちがい無く討論の時代が来る。もっと人々が発言をおおおらかに表現できるようになればいい。しかし、雑さがにじみ出るとき教養のなさが羞恥心となり壁になる。なんと悲しい事かな。