私を去るとはいいましても、むずかしいことでありまして、私を去れば私はいったい何かと申しますとなにものでもなくなってしまうわけでありまして、法律関係からも失敬ということになりますと殺陣でも強盗でも犯しても私はそこにいなかったということになりますから捕まることはないかと申しますよ世の中は違うのでありまして、どうしても世間というものは私たちに私を与えないではおられないのであります。名前というのがそうでありまして、名前さえ一つの暴力なのであります。その辺のことにつきましては、フランスに住んでおりましたジャックデリダという哲学をなにやらやっている方の本を開いて読んでみなされば納得のいくところでございましょうか。なんといいましても、世の中は物騒というのが世の常でありまして、そんな世の中から浮世に住まうことになりました遊女は、ディズニー映画にでてくる女主人公となんら変わりないのであります。ディズニーも千と千尋も遊女を題材にした物語に相違なのであります。女性がこれらに無防備に喜びを見出しますのは、自らの性によるところがあるのでしょう。女性たちは性から快楽を得ますし、快楽を得た上に自らの性を売り物に男を捕まえ働かせることもできるのでございますから、なんとも女性というのは多大なる力を保有しているわけでございます。ある整体師の方に言わせてみれば、女性の体は男の体よりもメルの虎に近いのだそうでございます。メスの虎といいましても、力は強靭でありますので男は勝てないでしょう。あらゆる道具を使って虎を退治する方法が残されてはいますけれども。私が申したいことは特にありません。できれば、何も申さずに暮らしていきたいものです。意見なぞという過去の遺物を保有せんがために今この現実を曲解して歪んでみている節が私にはあります。この事態を一つの逃避だと捉えれば、いったいなにから逃避しているのでありましょう。わかりませんが、人生は挑戦の連続であります。挑戦とは新しいことに突き進んでいくことでありますし、思考の変遷こそが至高なのであります。ある一つの意見や主張はなんら意味がない公理であります。ただ、人を鼓舞するような展開を話しの上でなされるのには意識の流れとして尊重に値すると思いますけれども。また、私の話はつまらないところに着地しようとしております。しかし、それもまた乙なことに違いありません。今非常に面倒なことを面倒だと言ってしまうのはよくありません。面倒なことは誰にだってあるのです。それを思わないで体を軽くして動くのがいいのではないでしょうか。とにもかくにも、私の意識の流れをここに書き留めることで私は何か利益を得たり目的を叶えることができるとは思いません。小説だってそうです。私は小説を書きたいと切に願いますが、その方法論だけは断然もっておりますけれども、小説の話をするには仲間がいたほうがいいでしょう。人は忘れやすいですあら、