アウトプット

相手の視点に立ってみよう

筋肉のこわばり

 いくとは気を発散させ気の巡りを良くする手段であるとして、何度も行けば疲れ果て眠ってしまい、起きれば神経は目を覚ます。酒を飲んで吐く気は次の日に別の気を取り込んでいるのか気持ちが悪い。酒に強いとか弱いを自慢するのもいいが、優劣を極めるほどの価値はない。酒を飲んで気が狂い武勇伝を作るも人に話さなければ価値はない。己の非行も人に話して聞かせなければなんの意味もない。おおよそ人に話さなければ意味をなさないような話を作り出すのがマスコミの仕事だから、つまらないネタでも面白おかしく書く力が必要なのだろう。書く本人が退屈しているようなネタばかりがこの世に充満して、20代は良い子が増えたというが、容易に手名付けられる頼りない日和見な軟弱者の思慮の浅い、自ら考えず一定の価値観を信奉する社会主義者が増えたという程度で、それを良く書くには、前者の社会規範を守り自らが法の番人となって人を裁くという行為をなす、国家非公認の監視、懲罰係を積極的に担う犬が増えたというのだろうか。国家について無理に語ればワケもわからずに妄想ばかりが先行しテレビの政治ネタにああだこうだと知りもしないのに、関係もないはずなのに一喜一憂し興味関心をマスコミに奪われる情けない状況に陥るのが関の山である。第一マスコミは娯楽を作り出し、娯楽に価値を置かせるのもまたマスコミのなせるわざであるには違いないのだ。小さなコミュニティでする遊びは高価であるが、皆で行くディズニーランドは安価である。施設の規模が娯楽の価値を高めるか否かと問われれば相関関係なしと言わざるおえない。価値とは何かと問われれば人の興味関心やる気を生じさせる動機に他ならず、価値とは自ら生じさせる場合自らから離れる必要のある、よくわからぬものである。価値があるとかないとか、目には見えねども、確実に感じる実体のみることのできないものである。血流の流れと関係しているのだろうか。セロトニンと関係しているのかもしれない。フィリピン政府は軍を投入し国家に従わず麻薬の流れに身をまかせる国民を取り締まる。集団を形成しなければ、奴隷に陥るという古来からの人間の習性を大事に守っているのを保守と呼ぶのかもしれない。確実に感覚としては感じられるものではないけれども、これまでの歩みを振り返れば何度も戦争を起こしてきたのだからまた戦争は起こるのだろうと考えるからこそ戦争が起こるように、物事の因果は容易に逆転しうる。無政府主義は、ある意味国家主義と同じ方向を目指している。法の重みを知るには、ほうがなくなったと感ずる後の無法地帯を憎み後悔するほどにならなければ、法の価値や重みは忘れ去られてしまう。およそ価値あるものはそれをなくせば後悔するであろうという未来から現在をみる行為にあるのだろう。価値とは、過去の後悔で形成される。過去はいつまでも人間に纏わりつく証左であろうが、人間だからという理由である個人の考えを誰かに押し付けるような真似はしないほうがいいと、私は思うのだが、しかし、誰かに押し付けたくもならないようなものを重宝するのは難しいと考えられもする。要するに、私は物分かりなどちっとも良くない人間を尊敬するのだ。分別がついて妄想と現実を分ける能力は必然的に、現実でもなく妄想でもない無の世界に身を置きいかなる仕打ちに対しても卑屈に笑みを浮かべるだろう。そのような人間が俗人の中で好かれるはずもなく、まずい飯と汚い空気を吸わされ生きられる体力の持ち主として身を置く場所を与えられもするのだろう。弱さほど、強いものはない。強いとは、その強さが削がれるまで絶えず荒々しい境遇にさらされるものだ。