かくかくしかじかなる訳によりやる気に火をつけられ動くは、稀なり。自らのやる気のなさを一層あらわにし見つめる格好の機会であるより他はなし。もしくは、やる気を買われるようなことも買う相手の主従関係を表に示す習慣からくるものなり。やる気などにかかわることは避けて自ら体を動かせば自然と意は後から付いてくるものなり。とぼとぼと付いてくるよりも、我先にあらんとした顔で意が付いてくるものなり。行為に理由を求める精神が、行為より以前に意のあらんことを欲するためである。その心は、相手を意によりいかなる行為をする主体であるか見極めようとする合理に基づいており、また、契約書なるものの履行を求める際にも意は、行為の人質となり不履行なる際に意にその責任を課しさらに行為させるのを求めるためなり。意は、行為の前になし。行為と意が同居することが習慣なり。習慣をつけるにまず意を先に求めるのは失敗の元であり、はじめはその虚妄に疲れて行為するも後々になって行為の前なる意の虚妄が力を失い行為をするにまた別の虚妄のかたちした意を誰かにより与えられそれを我が物にし行為するなり。誠に、意の本質を間違えている。行為にこそ意は宿るのであり、意に決して行為は宿らない。

 意が欲しければ行為することであり、行為とは意を生み出す母体である。行為を終えて初めて意が明らかになるものなり。想像の中に意は明らかになることなし。意はまた、行為の占有物なりて我は行為のみなしうる。相手に好かれようと閃ために相手を思い続けるだけでは飽き足らず相手を文中の蘇らせるのもまた行為なり。それが極まれば書くことなくして相手を思うだけで相手を心に浮かび上がらせ蘇らせることができるなり。誠に愛する人もまた虚なり。虚は生きも死にもせず。ぼんやりと思い出されるように存在し息をする。

 意は、行為を欲している。行為の中に意が生きて存在感をあらわにする。意こそ人を行為に誘惑する女の女体のようであり、女は行為する男を好むのもまた、意こそ女であるためなり。行為せぬ男は女のいない殺伐とした世界に住むも、女のいる世もまた女の理不尽な意により殺伐とせんこともあらめ。