読書について

 CMにて漫画を読み散らかす女に本を渡し、本を読む人間がそんなに偉いのかと女が開き直って無料漫画をアプリで読み漁るシーンがある。女の奇妙ですれきった笑い声。本は漫画よりも楽しい。私たちは言葉に生きている。相手に何かを伝えるとき、いちいち絵を描いていられない。話を聞くときに紙芝居などやってられない。漫画は人の顔も何もかも伝えきれない。その場で読み切って終わってしまう。それで満足。決して自分が変わることはない。世界を変える力などを得ようとも思わないのだろう。漫画を読むことで解消される世の不満は一時的なものであるように思われる。今の世に不満なのかと問われれば、そうであると答える。もしかしたら私が悪いのだろうと思わないでもないのだけれども。万人にすみよいまちなどないようにね。さて、どうしたものかね。こまったこまったとなげいているだけで日が暮れてiphoneの予測変換はおかしくなるし。もうやってられないなんて愚痴をこぼしながらも指は軽快に動いてつらつらと役にも立たない言葉を書き連ねている。さてどうしたものかの、堂々巡りにも疲れから私は電車の音を聞いても感慨深さもなく。渡りに船で。何処へやら。自由について語るには、自由という言葉が必要であるように、何者かであるには何者かが必要なのだ。私は何者でもないので何も言えない。主張して賛同を得て小さな拍手をもらっても私の中の貪欲な私はそんな拍手じゃ満足できず大きな不満声のブーイングのほうをほしがる。ああ、日が暮れていく。何もかけちゃいないからやになる。嫌になればこの世とおさらば。覚悟はあります?良い人も悪い人も天国へ行きましょ。悪いことをすればばちが当たるなんて了見の狭いこと言って世の中嫌になっていいかとは何か探し求める姿に私は何も言葉を見出せない。相変わらず世の中は、決まり切った習慣をただただ行ったり来たりして移ろい揺蕩っている。そんな気もするのも、私だけでしょうかね。共感するために私は私を投げ出さない。嘘で私を隠し通す。私は奥に隠れて決して出てこない。出せば私は今ここにいないだろう。