アウトプット

相手の視点に立ってみよう

想像力の欠如

 いつもよりだらけて書くね。どれくらいだらけるかってもう、よだれ垂らしながら何も考えないで書いているって感じ。テレビの悪口から始めたいんだけど、思いつかないんだよな。そりゃあるよ、でも、思いつかないんだよな。どういう悪いところがあってなんて箇条書きにしてもつまらないし。つまらないのは、俺ね。書いている本人がつまらないのなら書かなければいいんだから。楽しいだとかつまらないだとかの論考・・・論考ってほどじゃないけどそこまで考えていない・・・考えていないわけじゃないけれど、書いたとして読んでくれる人間がいるかどうか、他者への面あてが問題なんだな。体裁なんて言葉いらずのコミュニケーション。もし武士なら私はとっくに死んでるか、酔いつぶれて川に溺れ死んでる。そうそう死ぬ死ぬ言わなくてもいいじゃないと君は言うかもしれない・・・君って誰・・・しかし、書かなくちゃ僕は自分の脳みそを働かせるために書いているのだ。ある一つの魂を考える。テレビがなんてつまらないんだと思わないわけないはいかない。一気に書いていこうと思う。偏見だと言っても始まらない。君の意見だって偏見にすぎない。僕の彼女は偏見を嫌う。しかし、偏見そのものに寛容になることだってできる。偏見ってのはある病人を、精神が不安定な人間・・・例えば、もんもんと悩んで自分に自信がなく他人といつも比べて将来を不安に思ったり・・・それは俺のことかもしれないのだが・・・そう言った、不安定で何も考えられなくなってしまった人間に一つの作業を与える。性格的作業を与えることで精神は社会的文脈の中で機能し本人は本人の思考から離れることができる。彼女自身偏見の塊であるのは変わりない。あと、彼女は思っていないことでも相手に合わせるのが優しさってもんだと僕に教えてくれたが、確かに彼女は自分に確信がないから人が合わせてあげなくちゃ自身もなくなって何もできない状態になってしまう。だから、これは私への処方箋と言おうか、どこか怪奇じみてる。読書習慣が廃れて僕は文字への感度が明らかに鈍くなった。文字を見ても何ら頭が働かない。告白すれば、人に何を言われてもしょうがない状態である今、私は文字そのものすら投げ捨て社会の文脈から離れていきようという試みをしているのだろう。それは社会の文脈にいる人物たちからすれば逃避であり、一方では冒険でもあるのだ。私は冒険をしているのだ。あらゆる人間はあらゆる角度から見られなくちゃならないのに、テレビに出ている人間を見るときに私たちに与えられる情報はわずかで彼らが画面の外で何をやらかしているのか知らない。まして、目の前の人のことなど素人もしないで画面の奥の人物に恋をしたりしている。今から芸能人は消えて無くなるだろう。歌だって何がうまくて下手なのかわからなくなってきている。下手くそな歌が視聴率が取れるためにテレビに引っ張りだこなのだから。本人もつらかろう。下手さ加減を知っているのに、歌わされるのだから。そりゃ、ひねくれておまけの芸能人とのセックスくらいは決めてそそくさとタイミングを見計らって出て行ってしまおうって算段になるのも頷ける。真面目な話はクソだ。何が良くて何が悪くて。好き嫌いしかないのだ。すると子どもだとか言いやがる。お前らは俺が子どもになれば相対的に大人になるとでも思ってるのか。否、言葉の力。彼らはおもっちゃいないんだ、思っちゃいないことを平気で口にする輩なのだ。大人ってのはそういうもんだと、子どもの側からの反論。否、彼らには論などないあるのは暴力だけだってことに今更気づいたのか。大人たちも大いなる暴力に日々さらされているのかもしれない。その時、どう対処するのか。彼らが暴力的発言をするのはその社会というより彼らに何かしら影響を与えた大人たちの暴力によるところが大きいのであろう。悲しいかな、子どもの頃に親から暴力を受けた子どもが親になり子どもに暴力をする。順風満帆に生きるからそうなっちゃう。どこかで自分の過去が薄くなり消えそうにならなくちゃならない。しかし、それじゃ金にならない。キャリアだとか、誰だってやればできたが退屈だったからやらなかったことをいつまでもやっとけばそれを評価してくれる。キャリアなんてのはまったくもって、封建的だとここで言っておこう。今更、封建何て言葉で社会を論じるのは時代遅れだって思っちゃうのは多分私が封建なる言葉についてあまり知らないからであろう。知りもせず考えあぐね悩んだ覚えもない言葉がピョンと出てきて文章をまとめてくれたのだから感謝しなくちゃならない。そういえば私は感謝をしていない。なぜだろう。私も感謝されるようなことを強制されるような気がするからだ。感謝なんてしなくても人間はどこかで感謝しているんだからそれ以上に母の日だとかやらなくてもいいんだ。虫酸までは走らないまでも、どことなく歯がゆくなるようなお手紙なんてのも考えようによっては、嬉しいかもしれないが、その嬉しさがのちに裏切られ子どもが非行に走るとなったときに、いつまでも可愛い頃が思い出されて、その子はますます親から逃げるように非行に走って行きはしないだろうか。

 

芸能人に何か芸をしてみせりゃいい

何が面白いと言ってやりゃいい

ファンはそりゃありがたいよな

 

コメンテーターに金を渡さなけりゃいい

もっと楽しい話をしてくれる

金なんざもらって楽しい話なんて期待する

バカが多すぎるこの国で

テレビはテレビの出現した老人とともに

廃れていくだろう

 

ネットの時代か?

ネットの話題はテレビの話題

それ以外もあるよね

ネットでテレビの話題からいかに遠ざかるか

芸能ニュースからいかに遠ざかるか

私はiphoneを捨てようかしら

誰かに拾って内容見てアプリ全部消される

写真だって消されちゃう

大事な写真だって他人にとっちゃ・・・

 

テレビは見ない。テレビの意見は誰の意見なんだ。もううんざりだ。

テレビなんてもう、本当にうんざりだ。

歌が好きなら、歌えばいい。

音楽が好きなら作曲すればいい。

何を金払って、他人が音楽するのを耳できいて楽しいだろう。

楽しいのは騒いでいる時だけ。