アウトプット

相手の視点に立ってみよう

嘔吐

 五月晴れの朝に空を見上げた。一羽のスズメが雲を横切る。飛行機は空高く飛んで太陽に照らされ光っている。どうしてだろうか、どうしてこんなにもこの国はおかしくなったのか。すぐにキレやすくなった。昔からそうだったのかもしれない。寛容さは失われた。もともとなかったのかもしれない。つまりは、高度成長期から逃げ出せる社会になったのだろう。サービス残業を批判する記事をみた。日本人アゲアゲの番組を流すテレビも批判していた。確かに、そうだ。欧米化を目指しているのなら、感覚も欧米化されるべきで、違法残業などしなくていいのだ。違法なのだから。法律を守るほどに利益を損なわれる会社もあるだろう。国が一流であろうと、何流であろうと私は関係なく生きてる。社会に参加せざるおえない以上、国家に求めるものの大きさは計り知れないが、私はそもそも国家に期待していない。国家を疑うこともない。国家がなくなって困ったとしても何とも思わない。しかし、そうもいかないだろう。国家がなくなれば困るだろう。もちろんそう思うのだ。ただ、肌感覚として国家の存在を日本人は肯定できないでいる。自分たちの足元を見ないようにしている。それがオリンピック招致やらにつながるのだ。嫌なところは見ない。嫌なことを嫌だというのは子供だという。人権は、女子供の占有物で男は縛られる一方だ。この感覚は、ある意味で正しい。男が権力を握っていると信じきっているからだ。男は権力を持たせなければ、安定しない。そういう生き物なのだ。だから権力欲は男にとって最大の防空壕なのだ。権力を欲しがる場合権力に従順である場合が多い。それは、自らの感覚を殺してまでも規則に従うしか生きる道のなかった人間たちのゆとりのなさなのだ。ゆとり世代とは、試されたのだ。しかし、多くの日本人は少数を嫌う。見事に失敗したのだ。しかし、それでいいのだ。ゆとりとは、失敗も成功も大して変わらないことを感じる目だと思う。それを強さだとも思わない。どこまでも淡白に生きている。情熱を欲しがる人がいる。情熱のあるところに行けばいい。安心感が欲しいと思っている、それには権力がいると思う人間がいる。それならば、権力のあるところに行けばいい。そして、実際はどうであったのかと学んでくればいい。しかし、多くの日本人は思い込もうとする。これで良かったのだと。おそらくは、周囲の価値観が相対化しているのを見ようとしない。意見の多様さを面白がらない。自分の世界観を周囲と共有したがる。違っていれば、考えようともしない。そして、考える者たちに搾取されていくのだ。日本人とは、どこまでもどこまでも果てしなくこの世に対して被虐的なのだ。そういう国民性であるから、すぐに怒るのである。寛容さは、女々しいと退けられる。しかし、雄々しいことはしない。できないのである。そのもどかしさを感じているはずである。今の日本人は、ゲームにアニメに漫画だ。悪いことじゃない。しかし、あまりにもひどい。ユーモアもない。おたくが増えた。ニュースは芸能ばかり。テレビは、美味しいの連発。与えられるものをどう調理するのかと考えよう。私は社会について論じるのが嫌いだ。不可能であるし、文句しか出てこないからだ。その文句が治ればまた新しい不満が生じる。つまり、今の日本人は悟りすぎているのだ。どこかを変えればまたどこかに不都合が生じるという感覚を持っている。したがって、何もしないというドラえもんのび太的な発想は実は、日本人の大部分が持っているのではないだろうか。人の意見を聞く時の態度も悪いし、自分が人からどう見られているのかを気にしない人たちばかりだ。たいていの人がそうである。と、考える私も十羽一絡げに纏めあげたいのか、この国の国民性とやらを。確かにこの国は貧しくなっている。しかし、本人たちは楽しそうだ。金はアジアのどこかに流れていった。昔ほど物は買えない。いいだろう。物なんていらないじゃないか、と言いながら、高価なバイクを欲しがる私。しかし、我慢すれば買えなくもないのだ。お金に頼りすぎるのは良くない。一のことをして、九のことを外に任せるよりも、三のことをして、七を任せるほうがいい。そのほうが楽しいし視野も広がる。今の日本人は、積極的に視野狭窄に陥っていると言っていい。彼らは世界の情勢など知りたくもない。安家の漫画を一生懸命読むサラリーマン。非難ではない。ただ、あまりにも貧しいのだ。貧相なのだ。趣味が。今の日本人に期待などしちゃかわいそうじゃないか。彼らは犠牲の時代に生きているのだから。自己犠牲を最高価値に奥から新撰組で私は泣けるのだ。この国人たちは、世界など見てもしょうがないこと、どこに行っても大して変わらないことを頑なに信じている。ある意味では、それは正しいのだ。どこへ行っても、自分という存在は変わらない。そう、今の日本人は自分を変えようとしない。変えられないのかもしれない。安定した自我なんて、自我が何であるのか知らないのに語感だけを信じている。恐ろしい。彼らを騙すには、耳障りのいいことを言っていればいいのだ。そして、騙されたら泣きつけばいいのだ、アメリカに。何と女々しい。屈強な欧米人への劣等感か。湘南の男は、アメリカ人を倒せるのか?疑問は尽きない。