アウトプット

相手の視点に立ってみよう

慎重にかつ丁寧に

 もし隣の家に、ミサイルをぶっ放すおっさんがいたら、それは警察に連絡するだろう。私的制裁は、戦いを生むのだから。

 一番手っ取り早いのは、北のミサイルが気に入らないのなら、自ら働きかけることだろう。しかし、日本政府はいつまでたっても、アメリカ抜きに北朝鮮と話をしようともしない。

 そりゃ、私たちの見えないところでパイプがつながっており、話し合いも十分になされた上で、北朝鮮にミサイルを発射させ、政府が国民を畏怖させ政府への支持を集めるのもできよう。

 この見方が、あまりにも荒唐無稽だと切り捨てようにも、人間はあらゆる想像できる産物を実現してしまう生き物だから、ないことはない。ないのは、根拠だけである。

 アメリカを仲介させ、北朝鮮のミサイル発射を抑制しようとするのは、自らの国が直接に相手の家に文句を言いに行くよりもマシだ。アメリカも自国内が忙しくなれば、遠い東アジアなど気にしちゃいないだろう。ヨーロッパから特に相手にされていない日本は、欧米人の集まりであるアメリカに新活路を見出した。気さくなアメリカ人はやはり、心をひらいてこの複雑怪奇であろう日本を理解してくれる。それは、アメリカへの甘えでもあるのだ。上手に甘えている方が得策であるにもかかわらず、北朝鮮は自立してアメリカに追従する日本を情けないと思っているのであろう。

 しかし、リーダーがテクノカットのふとっちゃじゃ誰もついてこない。もっと凛々しい人がリーダーでなくては、まったく説得力がない。

 どこの国もミサイルの一つや二つ持っているだろう。北朝鮮が対話に応じない限り、そのスイッチは闇の中で誰に押されるかわからない。その疑念が北朝鮮にはある。一方で、生きることに執着なく落ちて死んだらそれまでよ、という気持ちもあるのは確かだ。税金を増やし国民を働かせる政府は、国民の生命と財産を守ろうとするだろう。大事な、ピクミンを減らせば自分たちの生活に響くのだから。

 この世は本当に、金が絡むと面倒が起きる。面倒は嫌いだから金は捨てよう。