アウトプット

相手の視点に立ってみよう

書くこと

 書いちゃいない。漢字をワスレッちまうんじゃないか。打つだけじゃないか。なんとなく「憂鬱」と書けば、意味はわかるが、漢字は書けない。それじゃ意味がない。指で打楽器。指がなければ、音声だ。それまでの話。

 写生文って何だ。見たままに書く。大人が子供を見るように書く。子供の発見。近代以前は子供はいなかった。子供はただ使えない人間だったのだ。もちろん使える人間は働けるってことだ。労働は、他人から労働を奪って初めて成立する。それを競争と呼ぶのか、奪い合いと呼ぶのか、騙し合いと呼ぶのか好き勝手決めればいい。学歴は、相手を騙すのにもってこいだ。誰も死ぬまで勉強と口にしながら、勉強なんてやめて土日は遊び尽くし、暇さえあれば好きなことやって暮らすのがいいのだから。大学の勉強で頭が良いと自惚れる能力が備わっていれば、十分であろう。

 それにしても、世間は騙し合いだ。CMの商品の大半は不必要であろう。インターネットが無くなっても、俺は平気かもしれない。誰かに自慢する写真やら文章がないから。発信したい自分の気持ちなんてこれっぽっちもないんだ。そんな発信しなくちゃ意味を持たない物はゴミ箱にポイだ。

 ネットもうるさい。面白いことを言えばいいのに、真面目になにかやってる。空気を読めと言っているのは自分かもしれない。価値観は変わったのか。ただ、ルーズになっただけだ。当たり前だ、道なんて調べなくてもネットで見つかる。ネットが現実世界へのアクセスをも容易にしたのだから。ネットの良し悪しは使い手次第だ。しかし、議論は本当に自分が参加しない限り何ら意味がない。そんな意味もない議論に巻き込まれて右往左往するのは面倒じゃないか。やめたがましまし。

 じゃ、何が面白いのか。読書じゃないですか、やっぱり。本は面白い。世の人がいかに狭い見識で生きているのか。そして、それを感知する自分の両県と度量の狭さに風を送り込んでくれる。