アウトプット

相手の視点に立ってみよう

チャンスなのだろう。言葉に対する反応速度は遅くなるが、洗練された返しができるのかもしれない。僕はラカンを読まなくてはならない。自由とは、常に流れていく。つかみどころがない。論理的であるところだけが、唯一の取り柄である。非常に困った話だ。いったい何をすればいい。つぎはぎだらけではないか。一度、静かに施工してみよう。おそらく、強い風が吹いて、その情熱は容易に消えるだろう。その時、私は絶望する。しかし、絶望も悪くはない。皆が、絶望すれば、絶望は常識に変わる。今の世の中を、変えようとする気持ち。今が、すべてであると考える者たち。それは、安泰だろうか。絶望からか。どっちだって構わない。私は情熱と堕落を好む。勤勉さと、冷酷さはいらない。私は非常に繊細だ。繊細であるがゆえに、私の心は捉えがたい情熱を持ち合わせられない。冷たいコンクリートにぶつけて割る卵のように、私の頭は飛び散ってしまう。思考が散乱する。自分がなくなる。意味不明だ。自分は確かにある。しかし、ないのだ。以上のような考えに、とらわれた。病気のようなもの。診断名は、偏見と行こう。それか、プラシーボ効果の反対だ。回復を願わない患者だ。私は常識が我が身に宿るのを非常に恐れるだろう。簡単な神話に身を委ねるだろう。私は皆が嫌いだと、そう考える。非常にアホらしい。考えが暗すぎる。だから、明朗になれない。不安も、快活さも持ち合わせないゾンビだ。一切傷つかない心を持ち合わせた、機械のような人間だ。常に合理的で、間違いなどない。謝罪など決してしない。悪さえ、存在しない。なぜ、謝るのか。相手が迷惑を被ったのか。ならば、迷惑を被った相手の馬鹿さに、自分が頭をさげるのは、ご愁傷様です、といった意味なのだ。私は、常に過剰であった。ついには、過剰さえも意識されなくなった。その時、私はすべてを嫌悪した。この感覚は記憶に残るか。わからぬ。反応速度が変わる。経験が、私を常識的にする。もしくは、私を、非常識的にする。経験は、一種、結果を予測した仮説の実証だ。偏見から経験は作られる。絶望した。人間の内心に自由はない。自由を、ラカンは笑った。自由よ、私は自由が欲しい。願うほど遠くへ消失する、恋人よ、自由よ。願うほどに、変質を嫌う自由よ。自由は掴めない。山の上に光、海の中に潜り、風の中に消える。風のように思考する。経験はちっとも役に立たない。ボールを投げ犬が追いかける。経験とは、ボールを追いかける犬を言う。自由とは、ボールを追いかけない犬だ。それも、ボールを眺めもしない。飼い主ばかりを見ている。常に、マジックは人の目をそらし、カードを服から取り出す。私も、マジックに陥る。人間のごまかしは、人の目をそらすことだ。マジシャンも誤魔化される。それが、偏見だ。意見を求めない。我が意見を求めない。理論付けて記録しようか。名案だ。しかし、誰が。もちろん、自己責任。私が引き受けるべき。ただ、意味がない。意味が必要だ。やる気も必要だ。行動とは、なんだ。行動とは、言葉を壊す作業か。言葉がある。人間がいる。言葉は動かない。言葉は動かないのだろうか。意味を共有する。常に自分自身に否定的であれ。自分の考えと逆に行動せよ。思考とは、常に自分を欺く。悪者はいい者に仕立てる。真実は必要か。哲学と命名するのは、天才の発想だ。雄弁なのは、相手を思っている時ではなく、相手についてどうでもいい感情を持っている時だ。非常に好意を寄せた異性には、どうしても、本当のことしか言えないのだ。本当を言おうとする。気持ちの真意を伝えるのではない。言葉が足りないのではなく、見つからない。恋人は、常識人ではないのだ。常に。隣に座った夫人と、駅のトイレでセックスできるはずがない。性的関係こそ、オアシスだ。常識を外から眺める。人間の騙されやすさを、常識が救う。人は常に騙される。憤怒は馬鹿げている。当たり前ではない、毎日を過ごすのが常識人だ。彼らは非常に豊かな心を持っている。隠し持っていて、表に出すことがない。彼らこそ幸福をみつけられる。幸福は、免許である。幸福を維持できる力が必要だ。