アウトプット

相手の視点に立ってみよう

とにかく書くことだ。するのだ。なんの理由もない。売れるものを書く、芸術的なことを書く、それを認めるのは相手だ。しかし、危うさもある。いつまでも認められない。相手の価値判断は相手に政治的に利用される。その時、芸術なんてものはどうでもよくなる。大きなる道があって、それに沿うのが大事なのだ。政府が、法律を多く整備して社会制度が整ったという時、安心するかい?君は、弱いね。自分の自由がうばれて喜んでいるのだ。何も挑戦せずに。僕がこうなったのは、社会制度のせいだ。そう、言い訳すればいい。自分を責めない。制度を責める。それは、本当に卑怯だ。卑怯で結構。楽しく楽に生きられれば、それでいい。何もかも過ぎていって、後に残るものは何もない。法律がちょいちょい変えられて、慣習が残る。反吐が出そうな、不自由さと汚い言葉が浮かんでいる。洗っていない風呂の水の淵に浮かぶ髪の毛。何を、叫ぼうか。ここで私が叫ぶことの無意味さ。意味のなさ人間は耐え切れない。意味なんて、どうにでもなるのに。つまり、自立していない人間は会社に利用され働かされとどのつまり不平不満の顔になる。満面の笑顔は期待できず、友達も、気が合わないとすぐに捨て去る。そんな奴らが大嫌いだと言ってみても、少しだけ。私はそれが人間だと諦めている。電車の中で女の奇声。何かに憤慨。興味もない。怒りは、何も生まない。交通事故にあって怪我をしてその後遺症で痛みが疼くようなもの。怒りは、そういうもの。相手にも自分にも跳ね返ってくる。一方で、教師の優しい怒りもあるのか。あるだろう。しかし、生徒がどう思うかであろう。私は、仕掛けられた優しい怒りなど拒否する。多くの教師も家に帰り、ネットにふけり女とセックスをして、趣味やら、眠りたいやらである。教師が免許制になって最悪になった。勉強もしなくなった。最初はうまくいくだろう。しかし、長く続かないのは、教師に向かない連中が、公務員という待遇を求めて比較的こなしやすい、そして、そういった人間は周りの連中とつるむのが好きだから、同じ価値観の人間で集団になり、偏屈になり、人の話を聞きはするだろうが、それが、権威にかなっているのかを比較検討するくらいしかできない。だれひとり、勉強を教える人間もいない。親のせいにする、子供のせいにする、時代のせいにする。理由はいくらでもあろう、勉学を怠る理由は。どうすればいいのか。しかし、こんな疑問も薄っぺらい。自分でわかっているはずだ。それなのに、人にどうすればいいのか解決案を求める。言いたいことはわかる、何をすればいいのかわからないから教えてくれ、教えられないのならあなたの意見は受け付けない。都合の悪い意見の排除の仕方、拒否の方法を身につける。まるで、ソフィスト。それも、議論に参加もしない、相手を言い負かして終わり。それで勝ったと思い込んでいる。ちっとも教師ではない。てめえの給料のために、点数稼ぎをしている生徒が哀れである。人間関係を重視する必要はない。友達がいなければ、いなくていい。友達がいれば、いてもいい。誰と喧嘩してもいいし、ケンカしなくてもいい。忘れればいいんだから。喧嘩が長引くのは、喧嘩をしたいだけだ。そういう人間関係の形で付き合いだけだ。なんら、本質はない。いろいろととらわれすぎなのだ。自分が居心地の良いようにすればいい。相手は、あなたの居心地に合わせるだろう。あなたもまた、居心地の良さを相手に感じそれに入ることもある、同伴することもあるだろう。とくに、人間関係においてわるいのが、愚痴である。愚痴は、相手を不快にさせるだけだ。愚痴ま・で・も共感の材料にする。女は集まって、互いに相手の共感を得るだろうことをいう。それまでだ。不思議だ。男が相手の男と違うところに目が行くのに、女は相手と同じところを見つけようとする。兵士は服を着る。同じ服を着て連帯意識を持たせなくては、男同士は協力できないのだ。男女論は、面白いが、諄いと疲れる。やはり愚痴は、すこしもよくない。まず、本人の不満は本人で解決したらどうか。悩みと愚痴は違う。愚痴は、どうしようもなく従わなくてはいけない硬直した状況にある。愚痴をきいてやるのは、いいけど、慣れていないだけかもしれない。それも良いかもしれない。ちっとも面白くない。自分の文章が。相手に阿っている。変な癖がついた。評論ばかりしているからだ。だれにも文句を言われない文章を書こうとしているからだ。今時、ちっとも流行らない反抗。金にならない。しかし、自由の心地はする。相撲は、ガチンコですれば体が持たない。故障ばかり。星でうまく、回せば長生きできる。短く太く生きるのか、星でダラダラと居座り続けるのか。好き嫌いで物事を判断しないので、私は力士の身体に気を使うばかり。非常に難しい。自分が絡まなくては、なんの意見もない。どうでもいい。ダラダラすればいいし。ガチンコでもすればいい。本人たちに委ねられている。テレビのネタは本当にくだらない。殺人にしろ、何にしろ。主人公は私ではないのだ。(なりたくもない)マスコミは、ただ、自分の意見ばかりを押し付ける。こんな馬鹿とは付き合いきれない。フェアではない。フェアを求めるなら、マスコミは消えればいい。金がある人間が、メディアを作ったとしても、ネットがある。電気がなくなれば、テレビもネットもなくなる。自分たちで物を考える。何が必要か。欲望の生産。これが、今日の課題だ。昔ほど、盲目的でなくなった視聴者。広告も嫌われる。何か相手に与えるとき、相手の喜ぶものをやろうとする。参考になる広告。自分が欲しいものは、広告の中に決してない。広告にならって買ったときのやるせなさを知っているはずだ。「何も欲しくないという欲望をもて」老子より。