ゴッホ、最期の手紙を観てきた。

 ゴッホより、普通にラッセンが好き。ラッセンの絵は綺麗だ。綺麗な海に、綺麗な夕日。とても綺麗だ。形が美しい。しかし、ゴッホの絵は、ギトギトしている。油まみれで光っている。生きている。生の中に、生身の美しさがある。彼の死は、腹を銃で撃って二日後にやってくる。銃弾を取り除くよりも、死を選ばせたのは医者だったのか。延命治療を、ゴッホも望んでいなかった。彼は、死をもって弟のレクイエムにした。その後、弟も死んだ。弟の妻が絵を相続した。彼が、なぜ死を選んだのか。牧師にもなれず、流浪の男は、精神科の家にときおり顔を見せ、医者と懇意になっていく。医者はゴッホと息があった。話があった。医者は、絵かきになれなかった男だ。ゴッホは、ある日医者に、貴様の人生など戦いもない、似非芸術家だと言い放つ。医者は、ゴッホの生活費を工面する弟の梅毒を告白し、どちらが人生と戦っていないのかの話になった。比べようもないのだが、人生とはおおよそ、全般的に生きられなかったのだろう。彼は、かなり神秘かもされたのだ。シャーマンのように絵を描き、売れもしないのに、絵を描き続ける。芸術家が、金に目配せして絵を描くのとは違う、本物さがゴッホにはあった。結局、彼は死んだ。医者は球を取り出せたろうけれども、ゴッホを尊重した。そんな話だ。油絵が6万枚かさな練られて、絵本のようであった。余計な物に心が乱されることがなく、純粋に人間の言葉を感受できる。だから、ストーリーが明白だ。物に惑わされ、変な解釈を自らも知らずに行うことのない映画で、ゴッホらしい。彼もまた隠喩など好んで使う人間じゃないような気がしたからだ。