アウトプット

相手の視点に立ってみよう

脳みそが便秘になっているので、あまり何も感じないで生きられているのが、少し心地良いような気がします。そういえば、最近は、いろんな人がいろんなことを言うので疲れます。いろんな人が価値観を持っていて、感覚を持っていると錯覚していますから余程です。どれも長続きするものではないから、みていると本当に疲れます。一時の気の安めのために、どれだけの、つまらないことに付き合わされなくてはいけないのでしょうか。あまり、深くがんがえないことです。タバコを吸うように、私もリラックスしていなくちゃなりません。そうでないと、頭はなにも働きません。非常に頑固ものですから、ちっとも言うことを聞きません。自分の頭を働かせるのが大事ですからね。だれも、何も感じないところで、頑張ったりするようなことは決してできないのですから。占いにしても、性格診断にしても、どんな人なのか知りたいのは、自分の見ている相手にちっとも自信がないからでしょう。自分が性格を変えてやるくらいの気持ちでないと人間としてやっていけません。わたしはそういう人は嫌いですから、みずからそういう人になろうとはしませんけれども、しかし、何かいいことがあったり、何か気持ちのいいことがあるときに、それを人に教えないのは少し気が悪い。だから、教えてあげればいいのです。わたしは自分が何が得意であるとか、得意でないとか、そういうことを発見したり、そういうのを見つけたり、そういうのを作ったりするのもちっとも興味がありません。ものを買わせるのは簡単です。それは身についていますから。だめなら、お坊さんにでもなればいいのです。つまらないことに時間を使うのは望むところではないでしょう。私の下に降りていた、デーモンのような状態はどこへ行ってしまわれたのでしょうかね。私にはさっぱりわかりません。あるのは、とにかく動くこと。わたしはけっして、自分についてよく知ることはできないけれども、そういう努力をするのは、実は、非常に楽しいものであると心得るべきでありましょう。仕事がだるいのなら、やめればいい。あなたの居場所はそこじゃないのだから、ということです。ものを買うのに楽しみを見出せないのは、一種の天才肌であると思います。あるもので満足するのがどれだけ難しいことかは、周りを見渡せばすぐにわかります。別段、高級車に乗っていようと、軽自動車に乗っていようと、それは構いません。しかし、おもしろいもので、高級車は値段も乗り心地も良いでしょうが、そういうことはつまらないということなのです。おしゃれな車に乗るのが、ほんとうは、難しいことなのです。働いた分、いい車に乗るのは簡単なことです。それは、ステータスであると同時に、どれだけ自分の大切な時間を割いて、物に充足を求め、それを所有欲と呼んでいるのかという話に帰結する訳です。どうも、私たちは、人を見た目で判断しますから、その人がもし、見た目に反した時はどうも嬉しくなってしまうのです。まるで、マジックを見ているかのように、曲がらなはずのスプーンが曲がったのです。それが、人間的な楽しみではないでしょうか。物質的な楽しみも確かにありますけれども、それは長続きは決してしません。物欲は、全くもって害悪であると言いたいのではなく、ただ、長続きしないと言いたいのです。楽しみとしての物欲は、周りの賞賛と貧乏に支えられているのです。考えてもみてください、もし、自分が500万の腕時計をしていたとします。そして、周りが皆1000万円の腕時計をしているとします。さて、あなたはその腕時計を愛せますか?愛せないでしょう。現代人は、物につられて働いているのです。哀れです。仕事を始めれば、目標をすぐに失う人もいます。土日を十分に休んで、特に勉強することもなく、だらだらと眠って過ごすのは、どうでしょうか。ひっかかるのが、別段、そういう暮らしでも構わないじゃないかということです。それを好きでやっているのだから、野放しにしておけという人は、どこか冷たくて、それをいけないと怒るのもまた不愉快な話です。笑ってくれる人、楽しんでくれる人が、なによりも大切なのではないかと思います。ユーモアの精神であったり、静かな精神であったり、ゲラゲラと笑う時は笑えばいいし、心地よく静かに笑うのも大事です。とにかく、先を急ぐ訳ではありませんが、面白い話ですね。人間というのは、ほんとうに、おもしろい。