アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ポペット

 会話に意味はない。しゃべることに意味はない。人間口があるので、臭い息を吐きながらでも素直に喋るのだ。そこに意味はない。もし、何かを意図しているのならくだらない。相手から金をむしり取るのであっても構わない。相手に金を出させる気持ちにさせるのだ。そして、出してくれた人に対して何もお礼もしないし、侮りもしない。この世の中で、もし金があればできたことはあるだろう。金がなくてもできたことはあるむしろなかったからこそ金がなくても生きていけるかねから離れられるようになったのだと思うべきではないだろうか。それにしても、あまりにもどうでもいい。私もいないので私といってもしょうがない。諸々のことは過ぎ去りもしなければ止まることもなく、消えることも心に残ってわづらさしくなることもない。一切はすべて内容であると思われているんドアが、ないのである。消滅の仕方を誰か押してえてくれと言わんばかりに解決法を探り、やっと手に入れたのはどうも自分というのが邪魔をしているのだということだ。人間は自由な存在であるが、不自由な社会観キュとこれまでの不自由な生活に憧れと懐かしみと親しみを覚えている。それらの依存性たるや、母を求める子供の姿によく似ている。決して、進むこともなく。依存に従って生存している。もし、依存の対象なくなれば生存は見事に消滅するであろう。すべての人に言えることである。それだけがだいたいわかっていることの真相である。どれもこれも、皆が同じようにのろく動くので、経済は成り立ち金は回ると考える。経済なんぞ博打だが、必要のないものを売るのもまたヤクザだ。道路はボロくてもいいじゃないか。車が汚れたら洗えばいい。対処療法がいい。どうも、不安を先取りして落ち込んでそれがこないように備えて何かをする。残るのは嫌いな道路と立派な家であろう。そこに住む人間はいない。寒い雪降る当方のコタツでみかんを食べる。それだけが、信じられる唯一の日本的光景である。猫もいらない。変な声したアニメの声優も要らない。何もいらない。テレビも要らない。しんしんと雪が地面に積もる。白い雪は白くなく、透明に、氷の形成を待っている。溶けて冷えるのを待つ。人も、壊れて作られるのを欲する。それを教育という。教育された人間が蔓延し世の中は雪に覆われ車は立ち往生し立派な道路は今日は駐車場となる。真理と言われるものを探し求め見つけ人に披瀝し褒めてもらい得意げになって家に帰る。それが最低な1日であることに間違いもなかろう。相変わらずテレビは、バカを相手にバカ話を真剣な顔でしているから視聴者の顔はこわばって醜く何かを恐れる。信じられないくらいの喜劇が展開し私は巻き込まれ死んでしまう。そうなりたい、なりたくない。ではなく、そう認識するわけでもなく、そうだろうというわけでもなく、そうだと断定するわけでもなく。そうかもしれないというわけでもない。「なにがいいたいのか」というとき、弓を弾く袴の老人はなぜ弓を弾くのかと問われて笑うだろうか。的に弓を当て、なぜ的を狙うのかと問われた老人は笑うだろうか。その笑いには不気味な優しさがあり社会的に正当化された笑がある。革命的な笑いは常に沈黙の中にあり決して笑うことで人々をなごますこともない。いわゆる、ゲバラは革命的な人間ではなく、自分自身を破壊尽くした破壊の笑いである。貴様らには俺の真似はできないだろうという笑いである。そんな笑いは巷にすこし溢れている。皆が皆人に期待し、自分に利益のくるのを期待する。孤独は寂しいと避けられる。これほどの不幸があるものか。見渡せば似た者同士、集まって離合集散。孤独者だけが自分を好む環境にある。友人が増えるほど、自分を強固に保つのは難しく、自らの好む対象への思いも薄らぐ。だから、不倫は中途半端な女好きのやることなのだ。