アウトプット

丁寧に書く。

小さなこと

 例えば、好きな人に告白するときに、あいてが自分のことを好いてるのかを確かめるのか、そうではなくて、好意を増やす方向にもっていくのかという、大まかに分けて二つの選択肢がある。後者の方がよほど創造的であろうと思われるのであるが、やはり前者は傷つきたくない心と、自分が相手を妄想しているのでだいぶ齟齬が出てくるのだからそれを失いたくないという希望でしかないわけだ。誰しもが、自分が持っているイメージを打ち破られたくないと思い、不当な扱いであってもしれが慣れ親しんだ世界であるのならば、全くと言っていいほど、改善することもない主観的な世界が出来上がり格差と呼ばれ、生活と、人格がこれほどまでにある一定の人々の間で違うのは、環境のせいにされるが、まさにその環境の違いが、別々の人格を生み出し創りだし編集するのであるが、加えて、共通しているのは、環境の違いによって人間が変わるという見方である。要するに、世界は常に、ある環境同士の相互の戦いによって作り出されている。どちらが正しいわけでもなく、どちらが正義を持っているわけでもない。環境の規模や勢力によって、自分の存在も相対的に変幻自在するのだ。ある一定の職業に就くために一日中勉強していれば筋肉は落ち、まさに、不健康な天才になるであろう。それは、自由であろうか。何かの目的を掲げて邁進するという人間がいるだけで、そこに何も素晴らしい美徳やら道徳があるはずではない。反対に、何一つうまくいかない人間は、本当にゴミクズでしかないくらい存在の意味がない代わりに、いくらでも嘘をついて信じられる人間だけが彼の存在を認めてくれることになる。本当はどうなのかという問いを人んげんが持つのをやめて、車を買い伊勢丹にものを買い付けにき、それがステータスであるようなのが、それが空気であり、貧困問題なんて何も興味がない、私たちがこうして金があるのも偶然だと考えている、そういう考えの人間に頭を下げて金をもらうほどの見上げたゲスな根性をあいにく私は持っていない。そのような人間に、ちっとも興味がないばかりか、持っている金をいかに出させて、気持ちよくかいものさせるのかが、大事なのではないだろうか。金持ちが悪いのではなく、金持ちを憎み特別視する同じような性根を持つのがいけないのだ。金があるのなら、出せばいいと内心思っている人間が私の中に住み着くようになってしばらく経つが、私は今まで、金について何も思ったことがない。特に、いらないもの不当な値段で買っている人たちがごまんといるのを知っている。彼らは詐欺師に引っかかった被害者のようであるが、本人たちはいたって満足そうに大事に、ものを持っている。しかし、ものは単なるステータスを表すだけだろうか。その人の、性格を表すようなものに服装がある。もちろん、正装ほど信じられないものはない。いくら嘘をついても洗濯すれば、洗い流せると考えるような商人の中でも、適当な部類の人間の服だ。まさに、今の日本人は、これから寒い冬の時期を迎えるのを悲しんでいる。オリンピックがなければ、今テレビは、何一つ放送できるような楽しい話題はない。深刻な経済評論家が、数字だけを見てグラフが上がっただの下がっただの、占い師のようなことを言って民衆を煽り、民衆は不安を心に持ちながらも解決するだけの力がないと思い込み、酒に手を出し肝臓を悪くする。さらに、社会福祉費が増えるので、政府の財務状況はさらに悪化する。健康であっても、不健康であっても、金持ちでもそうでなくても、やすみがあってもなくてもどうでもいい、そのように思うのが大事なのではないだろうか。不可能であると思われるかもしれないが。休んでいる人間を出し抜いている気持ちがあれば、喜びではないか。もちろん、やりたくない仕事もあるだろう。十分に休めばいい。その代わりに次にまた嫌な仕事がやってくるのだ。気が病まないわけがない。今ちゃんと働いていれば、年金がもらえるかもしれない。それは宗教である。数字なんかみちゃいない。周囲の雰囲気で、自分たちが毎年収めている年金が帰ってくるのかこないのかを不安にしている。馬鹿らしい。宗教よりも体系化されていない占いのようなものだ。布施だと考えればそれで終わり。税金だから、公務員よしっかり働けなんてケチな考えをもつのがいけない。ひとりひとりが国を背負う覚悟がありゃ、公務員云々、官僚云々に一任するようなことはない。政治家にものを言わせるのもそうだ。ひとりひとりが情けないから、今の日本は、政治家が嘘を隠す見え透いた工作を野放しにしている。法律に反した公務員を辞めさせることさえできない。なぜなら、彼にだって家族がある。一公務員に我が身を重ねる。決して相容れないはずなのに。どうやれば、うまく生きられるのか。そればかり考える。楽しいなんてのはいけないこと。楽しいという気持ちを持ってはいけないのだ。なぜなら、辛い現実が後から強烈にやってくるから。楽しければ楽しいほどに、禁断症状が重く体に負担をかける。精神論ではないんだという、では、君は脳のつくりを知っているのか、脳の構造を知っているのか、金をたんまりもらって暇を弄び、周囲は嫌な顔して働いているのを素通りするのか。何か手伝ってやりたい。俺たちの下らない欲望が、彼らに退屈な仕事をさせているのだと気づかないのか。そう考えないのか。無理な話だ。そういう時期がない人間がたんまりいる。仕事を気が止むほどして、休日が来れば精神的な安住を持ち出す。体の疲れが神様だ。サプリが売れるわ、売れるわ。皆が飲めば、自分も飲む。俯瞰的に見れば、リスク分散でアウトだ。サプリに毒が見つかれば皆、死んでしまう。賠償金何て一人一円だろう。バカみたいだ。売り捌けばいい、サプリメント会社の思惑に気がつかない。専門的な知識を植え付けて、さらに、それを利用して作りました、はい、目がよくなる薬、そんな広告を、広告にはもはや見えず、素晴らしい世界、素晴らしいネタ、今の健康とダブらせて売りさばく。買っているんじゃないよ、売りつけられているんだよ。そう気づかないのか?なら、お前はどうだ。酒は飲むは、レッドブルは飲むは、おまけに薬も飲むわだ。さて、どうだ。お前こそ社会に欺かれている。社会を恐れていて自分はそれに勝ろうと無駄な努力をしているように思えないか。社会を飛び越えたり、社会よりも後ろを走ってみたり、集団マラソンだとすれば、体力が持たないぜ。

 そろそろ終わりにしたい、ついでに、この場所はなんだろうと考えてみたい。自分の考えを書いている。実践するかしない改善の原始的な考えだ。これが大事であると自分で自分の顔を褒めるような、だれかを説得するにはあまりにも笑いに走ったような書き方をいつもではないがしている。まともに考えれば、うるさいとっとと動け働けそれで君は知るだろう社会を、ということだ。つまりは、無駄である。しかし、無駄であるからこそ自由な想像力は生まれるのであろう。もちろん、社会の監視の目を、つまり、他人を意識する目を持っている限りにおいて決して自由な想像はできないのだ、加えて、その他人の行為を真似しないことに創造的な作業は一切できないのだ。だから、世の中なんて、馬鹿らしいと思っちゃいけない。素晴らしいとも思わない。いずれも、酒に酔っ払っている間にだけ通じる一つの信念だ。それが、長続きしないのが非常に惜しい、そして、自らが何者かに縛られているのを感じる。なぜなら、酒がないのに紅葉しているのが自由であろうから。近頃は、気持ちもコントロールできで、酒で酔うことも、酒に酔うこともどちらも出来る。とにかく、飲みすぎて起きて体のだるさを夜中に感じるのは嫌だ。あれは好きではない。