現代について

 現代について、どう考えてもおかしいという考えがある。いや、拒否感だ。嫌悪感かもしれない。新しい価値観が芽生えてくる。それを理解しようとするよりも付き合わなくちゃならない。よくわからない時代だ。もとめる金は少ないし、増えるわけでもない。家はほしがる。これから、空き家が増えていくのに。だれを住まわせるというのだ。ああ、つまらない世の中だ。世の中は変化しているのに、テレビに出てくる芸能人はちっともかわらない。変わらない世の中が続いて欲しいと考えているのだろう。視聴者もしれに甘んじて、新しい息吹にさらされるのを拒む。ところで、何が新しくて古いのかという区別自体意味があるのか。それは、個人による。ある人は、はじめてリンゴを食べたかもしれない。ある人は、毎日りんごを食べているのかもしれない。そういった時に、わたしは自分についてしか語れないのである。そして、自分という人間が、はたして人間であるからといってある一定の倫理観を押し付けられるのを拒否する権利は、どこからやってくるのかわらかない。それにしても、僕は思うのだが。はたして、どうしてこう意味のわからないことになったのか。僕の頭がおかしいからだ。つまり、何を議論するべき必要性があるのか、ちっともわからない。議論に勝つことは、議論する目的ではない。自分の意見を通すのが議論の目的ではない。意見さえ出てこないじゃないか。何も新しいコトをしたくないからだ。これ以上面倒が増えるのが嫌だからだ。根底に怠け者が住んでいる。ああ、怠け者が住んでいる。確かに、住んでいる。僕は徹底的に怠け者と付き合っている。言葉が出てこないこの症状を楽しんでいる。自らが議論に参加する必要性がないのだ。議論か。何のためにするのだろう。会議もそうだ。あらかじめ、どういう内容で話すのか、決めておけばいい話なのにね。よくわからないよ。どうも集中力が関係しているんじゃなかろうか。ぼくの今の意識は、注意散漫だから、何も考えていないようにみえるときに、僕はとても集中しているように感じる。つまり、自分の脳みその好き嫌いがちっともわからないんだ。だれが、何と言おうと、結局はその人の考えをかえるなんてちっとも思わないんだ。そうだろう?じぶんの意見をおしつけがましく言うことの何がいいんだい。間違っていても責任なんか取らない。成功したら、どうだ俺のおかげだ。そういうこと考えている自分がバカらしくなってくる。ほんとうに、一体何を考えて生きているのだろうと人から言われた時に、それに応えなくちゃならないのも意味がわからない。何を考えているのか、とととととと・・・・。