馬鹿

 まず怒りくるうにも健康であらねばらなぬ。私は馬鹿である。私は馬鹿であるから今からの方言は完全に無視してもらって構わない。いや、馬鹿の独り言だと思って無視してくれ。願わなくたって、レスポンスがないんだ。一人劇場。目の前にはなんら観客がいないんだ。でもね、僕はいうよ。今の社会はクソだ!そうだろ。そうに決まっている。そうじゃなかったら、俺はもっとまともに生きている。そう、俺はまともに生きちゃいないんだ。どうだ。分かったかい。他者の目がないと、何一つ発言できないんだよ。なぜだろうか。考えてほしい。社会がクソだと言った時。こいつはおかしい、そんなはずはない。こいつは視野狭窄だ。いろいろ考えただろう。それが社会だ。いいか、お前らの考えていることなんて筒抜けなんだぞ。というとき、俺は完全に馬鹿だ。最初に言ったろ。俺は馬鹿なんだ。どうすれば馬鹿から脱出できる。答えは簡単だ。もっと馬鹿になるがいい。社会の既成概念、あえて、規制と書かせていただこう。馬鹿も天才もみんな等しくさせられるんだ。道路工事をみたことあるね。大きなローラーが道路を真っ平らにしていく。社会は道路だ。真っ平らにさせられて頭もクソになって、ついに、天才的なひらめきは社会の害悪として処理されるのだ。言わせてもらうよ、特に、女という装置によってね。キンタマ握られた男はどうしても、性欲から逃れられない。性欲の実現は社会においてマウンティングの材料であるのだ。女を物にするのは、家を買うだとか、車を買うだとかと同じ意味を持っているんだ。嘘だというのなら、君の女から生殖器を奪っちまえばいい。顔が可愛いからというの付属だ。どんなブサイクな女であっても、そいつが生殖器さえあれば価値がある。さて、俺がどんどん馬鹿になっていく。俺のような考え方は、悪魔だ!最悪だ!最低だ!下劣で人間性のかけらもない!そう言いたいだろう。現にそういう声が聞こえて来る。自覚している。しかし、これを言わなくちゃ気が済まないんだ。お前らの似非恋愛を見ていると特にそう思うんだ。えーまじでこれおもろくね、うん、めっちゃおもろい。俺は男なんだなとつくづくおもう。マウンティングのためにあらゆる戦略を講じてついにめんどくさがりから何もしないで、価値観の転換を図る典型的な人間だ。それをダメ男だと世間でどういうのかは、世間に結局は疎かった俺がどうこう言えることじゃない。世間がなんと言おうと、俺は世間を振り払って孤独に家族もみんな死んでしまって砂浜に一人、波打ち際で社会的なさざ波の音、つまり孤独、貧乏、貧弱、汚れを一身に身にまとって遂には朽ち果てるのだ。これが俺の人生だとすれば、俺の人生は最初からもう遊ばなくちゃ元が取れないじゃないか。真面目に生きて犯罪を犯す予備軍だったのかもしれない。最悪だ。これが俺だとしたら、最悪だ。精神分析的にあなたはこういう人物ですと言われて、俺は素直に喜べない。お前も素直に喜べない。ひた隠しにして死ぬまで墓場に持っていくか、酒の席で友達に診断書を見せて罵詈雑言を浴びせられヘラヘラ笑うことしかできない。つまり、俺は糞尿だらけになっても俺を愛してほしいんだ。それくらい、最低の男なんだ。だから、献身的にもなろう。ただ、世俗的な理性は持ち合わせていない。あの不満顔が、糞尿よりも耐え難い異臭を放って頭がくも膜下出血になったのかというハンマーで殴られたような不快感を覚えるのだ。スーパーの店員も、セブンイレブンの店員も、俺の目を見ようとする。まるでロボットのように、同じセリフを吐く。それを見ていて吐きそうになる。不快になる。俺もいつか、ああなるのだろうか。夜のイトーヨーカドーにいたミスドの店員のおじさんのように、俺もいつかあーなるのだろうか。夜まで働いて生活はかつかつ、友達もおらずさて、この国にいる意味が果たしてあるのだろうか。そう考えないではいられない。ある詩人を思い出す。ランボーだ。ランボーの地獄の季節。店員は死んだロボットのようだ。ロボットにしちゃ燃やせば焦げた匂いがする。タンパク質で合成されたロボットだ。意思があるのか。蹴りたくなる。意思はあるのか。やめたらいい。店の前には時給九百五十円で雇いますの文字。誰が時給で雇われてやるものか。イトーヨーカドーなんてクソだな、セブンイレブンもクソだ。そういう安月給で働かせてでも利益を出したいんだ。にしては、仕事に正社員並みの神経質と時間的拘束を求める。給料は雲泥の差だ。馬鹿らしい。そんなことするわけがない。公園で寝ているホームレスが清々しい。彼らの話を聞いてみたいくらいだ。ああ、世の中を嘆くのに僕の環境は適している。僕はどうしても弱い立場にいる。資本がないからね。おまけに親は大バカ者。この心知らず。この話は君たちには全く関係ない。どうすればいいのか。どうすれば君たちが僕の話を聞いてくれるのか。馬鹿らしい。君たちと同じ社会的な馬鹿にならなくちゃ、コミュニケーションはとれない。つまり、コミュニケーションんはある種の保守的な人間たちが生き延びるための社会的生命装置なんだ。コミュニケーションには共通感覚が必要だ。会社に勤めていて、上司がうざいだとか、電車が遅れるとイライラするだとか、そういうお話をするために感覚も同じじゃなくちゃならないんだ。特に、この国においてはそうだ。特に、趣味のない奴は金を稼いでも金を使わないどケチだから国を貧乏にする。大バカ者だ。そういう奴らを見ていると蹴りたくなる。本当にケチだからね。