アウトプット

相手の視点に立ってみよう

生きていてすみません

 太宰治のような嘘っぱちの文章しか私には書けませんから、世の中の真面目な事件についてふと笑ってしまうのです。なに、台風が来た。そんなことがニュースになるんですから本当に笑っちまいますわ。こちとら、台風よりもひどい風の中にいるっていうのに。

 へへへ、それはですね、携帯を見られたということです。ええ、見られました。悔しさと怒りがこみ上げます。自分と相手に対してですね。それはちと嫌な内容ではありました。しかし、寂しさゆえの犯行であります。それを解説させる相手に殺意すら覚えます。。。おっと失礼、あまりふざけてるとおもってもない言葉をぽろっとでちゃいますね。失礼失礼。気にしないで続きを読んでください。

 世の中には正義がありますか?醜さを愛しなさいよ。誰だって美しさは嘘だとわかっているじゃないですか。だから、皆楽しく平和に生きていけるんです。美人を鼻にかけた女のどこが美人なんですか。教えて下さい。自分の美しさに気づかない女が本当の美人です。そして、そんな女はこの世の中には存在しないのです。また、存在しなくても一向に構わないのです。

 話がだいぶそれましたね。主題のないとりとめのない時間稼ぎのお話とも言えないような、駄文のブログですから、いわば愚痴ですね。愚痴をここで履かせていただいている。はてなブログさんには非常なお世話になっております。どうもやる気が出ない。辛いんです。こうさせたのは自分です。しかし建前です。相手が悪いんです。それだけです。私をこうさせた相手、私が私自身を責めるように仕掛けた相手が憎たらしくてしょうがないのです。いい身分ですこと。面白い。世の中は、悪いことをしている気分が一番楽しいんですね。高速道路を200キロで走ってみたりだとか。へへへ。リミッターがありますので200キロメートルも出ませんけれどもね。

 私の内面まで土足で入ってきて拭きもせずに毒を撒き散らし、それを殺人と呼ばずになんと呼ぶんですか。女が犯されたら魂の殺人だと言いますが、男が勝手に隠していることを暴くのも殺人です。女が多少具体的に肉体を伴っていて、男は抽象的で被害が少ないように思われているだけです。女の無責任でたかが言葉でしょうという感覚が今日もどれだけの男の逆鱗に触れ暴力を振るわれ、または、女の言葉に傷つき笑顔も作れずにしかめっ面で落ち込んだ世界をとぼとぼ歩いているのでしょうか。

 私は女のために叫びたい。

 

男をあんまり馬鹿にするんじゃないよ。

 

 なんとなく、サイコな流れになってきましたね。いったい誰が読むんですかね、こんなクソジジイの説教をね。

 みなさん、イギリス人は好きですか?懇切丁寧な外国人は好きですか?よろしい。君は外人を馬鹿にしすぎです。彼らは君たちのその甘ったれた夢を食い物にして寄生しています。日本語が幼稚だから可愛い。だとか、諸説ありましょう。外国人の赤ちゃんは天使のように美しいだとか。そんな、実際を知らないあんぽんたんが、ネットで拾ったクソみたいな画像を見て可愛いと言っているんだからしょうがありません。貧しい生活体験の中で外人に出会うことも少ないでしょう。まして、外人は貧乏人に近寄りませんからね。おっと、路上生活者の少女は別ですよ?

 外人は日本人の数段お人好しでないかわりに打算的です。彼らは魂の癒しを日本の平和と人の良さに見出すのです。騙した方が悪いのではなく、騙された方が悪い世界。男の論理です。戦争中に人を殺してはいけないんだと相手を説き伏せるようなものです。世の中には嘘がたくさんありまして、それはエンジンオイルのように世界を美しく艶やかに塗り立てているのです。

 。。。その嘘を、馬鹿は疑って真実は、と叫びだします。確かに真実は美しい。しかし、それさえ虚構であります。わからないのでしょう。正義を叫ぶべば、不正義が蔓延します。世の中は言葉では割り切れません。どうしましょう。法治国家なのに。そう、最低限の法律ルールのもとパブリックでは振舞いましょうという、これもまた決まりごとであり暗黙知であり虚構です。目に見える行為は全て光によって掘られた形にすぎません。それが真実だと信じているのだから困ります。暗闇があって初めて光が存在するのです。不正義が正義の母です。

 だから、まっとうな意見を言う人間は根本的に間違っているのです。浮気はよくない。確かに、今までの関係の嘘がバレるからそれは互いにわかっていたことに違いないのですから、それを確認させる作業は徒労です。暗黙知を表に出してはいけないのではないでしょうか。闇があって光が尊ばれるのです。灼熱の砂漠に住む者に冬の焚き火にあたるありがたみがわかるはずはありません。むしろ、通気性のいいボロの服装が好まれるのではないでしょうか。

 さて、疲れました。それは、私に尋問するだけの力がないからです。私は言い訳だけはしっかりしています。私にものを言う人間は私の病気に感染してしまいますから、誰も話を書けません。誰が浮浪者の話を聞きますか?面白い話は、話が面白いのはなく周囲の笑っている雰囲気が面白いのです。そうでなければ、テレビの美術的な装飾も、フルハウスの機械音的な笑いも全く必要がないはずなのですからね。