アウトプット

相手の視点に立ってみよう

言葉

 言葉が失われていくような感覚。どうしてもあるのね。ゲームしていると無言になるじゃない。あれって、すごく脳に悪い気がするの。おしゃべりって本当に究極のゲームだと思うわ。おしゃべりで人を動かせるのよ。下手したら絞首刑台まで送っちゃえるんだから。本当に、おしゃべりって不思議。

 でも、私はそんなにおしゃべりを重要だとも思わない。重要だなんて考えたら何もおしゃべりできないじゃない。基本的に、こんなしゃべり方を普段からしていたらオカマに間違えられるかもしれないけど、私ってさーっていうときに、なんでこんな言い方になったのかと考えたらふつうにマツコデラックスの世迷言ってタイトルの本を読みすぎたせいね。

 マツコって面白いわね!彼女でもない、彼でもない。どんな存在かだなんて分類しなくてもいい気楽さって最高だとおもわない?恋愛だとかさ、友情だとかさ、そういう物語なしに人間って生きられないんだなーって思うわけよ。みんなインディーになればいいのに、そうはなれない。テンプレな生き方を選択してテンプレな文章書いて一生終えるわけよ。そんなのって、生きたって言えるのかなー。生きていて辛くないのかなーって思うわけ。もちろん本人たちは絶対に手放さない生活があるわけだからね。絶対手放さないわよ。こんないいもの他にないって思い込めるだけ周りがもてはやしてくれるからね。もてはやされているうちはバカでもいいのよ。何も考えなくても周りが絡んでくれるからね。

 でも、おじいおばあになったら体も触れてもらえないみたいよ。だから、医者に行くっていうじゃない。だからもう、おじいちゃんおばあちゃんみたらテンプレにならないと。絶対に見窄らしくしてちゃいけない。だからいい服着ていいメガネ買ってかっこよくなくちゃならない。結局、センスもあるだろうけどファッションって自分を偽って成り切ることだからね。

 今日は発音のテストがあって、昨日も英文を読む機会があった。私思ったの、周囲の人間を人間だと思っちゃいないなって。人間ってのを、ひいてみてるなって思ったの。それが一番楽なの。義務だからやるの。そこに、人間性はない。医者が身内の手術できないって話と似てると思うの。ってことは、私ってあのクラスの人たち身内だと思ってるのかしら。ほんっと、何考えてるかわからないわ。私って。