アウトプット

相手の視点に立ってみよう

人間は物自体に耐えきれない

 バイクを吹かして砂浜に来た秋の寒い夕方。することもない会う人もいない田舎の海のテーブル席でタバコに火をつけ吸った。一点を見つめていると普段目にしているものの異様な鮮明さがあった。芝生が異常な存在感でリアルに目に映るのだ。意識でものを見ている自分に気がついた。人間の認識は脳みそを保護するためにあるのかもしれない。ずっと見ていたらなにが起こっただろう。飛行機で田舎について着陸した瞬間に帰りたくなったこの地で。砂浜の芝生が秋の夕闇に寒さの中に燃えるニコチンが。

 くだらない人生話をよたよた書きまくった挙句に帰ってこれない過去の欲望の燃えかすがとぼ落ちていく。そのとき、風は吹いていただろうか。

 事実と人間の認識は食い違う。強固なリアルな世界も一瞬にして崩壊する。一瞬で。

 ほら、向こうから電車が来た。警笛がする。長い、長い警笛と長かった長かった人生。

 これは他社の人生でありわたしの人生ではないという責任放棄から生まれるマジョリティの物語をわたしも歩みたかった?それとも、覚醒して斜めに構えて足を組んでタバコを燻らしたかったか。私はおそらく後者であろう。たとえ、夢のマイホームが手に入っとしてその人生を幸福に思える人は幸せな人だ。しかし、私は夢のマイホームなどなくても幸せなのだ。外野がうるさいだけなのだ。消費社会が掻き立てる広告の数々はノイズだ。

 そんな私も今広告だけでものを買う単純さに身を任せている。判断を他人に任せて高価なものを買うのもいいのかもしれない。

 ただ、わたしには、今のわたしにはその選択肢はない。また、うんざりした電気屋の防音だけが聞こえるのだ。