アウトプット

相手の視点に立ってみよう

ただの変態

 自分の心で思っていることをなかなか言えないって人は、それでいいと思う。行ってみたところで利益誘導までしなくちゃならないんだから、誰もきいてくれやしない。けっきょくリスクを取らなくちゃ利益は得られないわけ。それなら大きなリスク背負って月でも行くと宣言しとけば、大したもんだなっと思うわけ。それだけこの世に未練がないとも言えるわね。月でうさぎに殴り殺されないといいんだけど。宇宙人と初めて対面したのはあいつだって話になれば、もっと面白いよね。でも、宇宙人っていったいどこにいるのかしら。

 一番進んでいる星が地球だとしたら悲惨よね。地球人は楽をしたいのよ。奴隷に働かせてみたりね。自分たちより劣った文明に興味を示すのは文化人類学者くらいよ。多くの人は人をどう働かせるかだけを考えて生きているものなんだから。倫理なんて機能しているとは思えないわね。力の理論で誰がどんな権限を持っているのかのシステムを壊さない様にみな赤信号を手をつないで渡っているって感じね。

 とにかく、私は別に書きたこともないし指の体操のためにこのグダグダしたブログを書いているんだから意味はないよね。意味がないっていう言い方は少しおかしいかもしれない。特に、言いたいことがないのよ。ほんと、言いたいことがないってけっきょくはなんでもかんでも口出すことになるからね。だって、自分は別にいいたいことがあるわけじゃなくてと言いながら、間接的にいってんだからね。だから、何も言わないのも沈黙の意思表示になるわけ。表情だって十分文字として機能するわけだから。顔に出すってのは、言葉に出すのと同じ様な効果があるってことね。一番手っ取り早い表現の伝え方よね。声出したり、勇気振り絞って向かいの席のうるさいおばさんたちを睨むってのは効果てきめんなはず。でも、そんなやり方が嫌いだからやらないけどさ。

 時々自分はどこにいるんだろうって思う。あまりにも自分がいないから。承認されなくちゃ自分は存在している意味がないとさえ思う様になってきたのも時代病かもしれない。数十年経てばどうでもいいことなんだろうけどね。かつて、オウムに走った人たちも一時の熱に浮かされただけなのだろうから。私はそういう熱とは関わらないで、なるべく一人で生きていきたい様な気がするの。だから、自分なりのテーマがあるとすごく人生って豊かで面白くなってくると思うの。なぜならば、発見と同じだからよ。何かしらの物理法則をみつけるのもだけど、とにかく発明、発見は喜びに通じると思うの。直接的にね。私ってほら、鈍いから何やってもとろいって思われるし実際にそうだから反論しようってのもできないし、それに反論なんてちまちましたことは嫌いだからますます誤解されて周囲が調子に乗っていじめになるのね。私、いじめられてるわけじゃないけど、集団と合わない人間を排除する機能が作動すると私はすぐにおじゃんね。ちがうところがありすぎるのよ。たいして、人間ってかわらないのにね。