アウトプット

相手の視点に立ってみよう

断定口調には罠がある。

 断定口調には罠があるのではないかという疑念がある。全てを疑うという態度の心身ぶかさは事実であるのだけれども。究極僕は相手の望むような人間になるのかどうか、そういうことはしないようにしたいのだ。それが自由だからだ。生き方がかっこいいという馬鹿げた言葉のためにどれだけ自分が不自由に生きてきたのかを振り返るべきであろう。なにも焦ることはないではないか。いきの構造を忘れてしまったのか。意地、色気、恬淡洒脱である。軽やかな気持ちで生きることがどうしてこうも気持ちいいのだろうか。そこに仏教的な根拠を見出して私との連関をとろうとするしつこさがない。私は要するにしつこい人間であるからだるいのだ。自分自身がだるいのだ。どうすればもっと遠くに行くことができ本を読めるかというと、このしつこさからサヨナラすることだろうと思われるのだ。特に目標もなく人生を歩んでいる人からしてみれば、それはサラリーマンになることであろうけれども、日本経済の行方が気になる。他人がきになるのだ。それも、自分がどうすることもできない人間が木になるのだからしょうがない。あと、私は人を放っておくことをするべきだろうと思われる。他人がどうなろうと知ったこっちゃない。それは、皆孤独であるからだ。絆を断ち切れと仏教はいう。