アウトプット

相手の視点に立ってみよう

意見への固執

 自分が苦しくなったのは意見に執着していたからかな。だってさ、何も考えられないなんてありえないじゃん。っていうか、ひろゆき面白いね。今更だけど。でも、ずっと毎日見てようっていう気持ちはないかな。面白いけど、なんか古い人みたいな気持ちもするしもうファンがたくさんいるからおこぼれも少なそうだし、もう超えてみたい存在だよね。態度とかがムカつくとかはないかな。

 で、近頃面白かったことね。書くね。この間神保町に行ったらね、欲しかった本が合計800円で買えたこと。もう、神様のご褒美だね。ちょうどテストが終わったあとだったから。行ってよかった神保町。それくらいかな。これってなんていうのかな。奇跡かな。偶然かな。どっちでもいいや、とにかく嬉しかったね。

 小林秀雄ってもう古いのかな。説教くさいけどね。でも、そんなこともないな。自分というのがないのがすごい良いね。自分の性格とか規定しちゃうと何もできなくなっちゃうじゃん。自分はいい人だから悪いことができないとか。それってキャラじゃん。そんなキャラさっさとやめてしまえばいいのにね。でも、できないんだろうね。お疲れ様ですって感じ。本人がそれで精神の安定を得ているとしたら必要なことなんだろうね。少なくとも、キャラを演じるのに全然不満はない。キャラを演じるのは大事なことだと思うから。なぜって言われてもわからない。それを問い詰めるだけの努力をしないのと言われると、お前は俺に努力を課す義務をどこから導き出しているのか問うてみたい気もする。

 でさ、その帰りに電車で本読んでたわけ。スマホでね。そしたら、すごく古い人なんだけど、唐木順三っていう人がいてさ、その人の本ってもうないんだよね。探せばあるけど、本屋に普通に売ってないんだよね。800円で買った本はまだ本屋に売ってるかなっていうレベルなんだけど。村上春樹はどこにでもあるけど、なかなか売ってないんだよね。それで、唐木順三の中世の文学が読みたくて神保町に行ったら、別の欲しかった本が4巻勢揃いで店のの棚に並べられていたわけ。感動したわ。久しぶりにテンションが上がったね。これはガチャ回して金色の武将が出るよりも、テンションが上がったかもしれない。

 話がずれてしまった。それでさ、スマホで読んだわけ。本を。そしたら、もう大好きな「更級日記」だっけ、忘れたけど、とにかく、心に浮かんだことをどうでもいいけど書いてみたら結構いい感じに読めるものなりましたみたいなのが日本文学にあるわけ。構成だとかそんな概念平安時代にあったのか知らない。近代人が勝手に作り出した概念を古典に見出して法則化しようとしているだけなのかもしれないんだけれども、そういうのってすごく楽しいよね。でも、飽きるんだ。なんでも切れるから、何も考えないようになる。宗教みたいなものだけど、他人に働きかけるようなことはしないで一人悦に入っている感じが受けるんだよね。君たちバカだね、俺は知っているのにって。それも、心を守るための術なんだろうと思うな。構造主義的なものにそれを感じるわけ。だって、頑張れば構造って変えられるじゃん。っていうか、構造を意識するからそこに構造が現れるわけであって、構造が忘れ去られたら勝手に新しい子供が生まれるんじゃないのかなって思うんだよね。忘れなきゃ人間は執着してしまって何も新しいことができなくなってしまうんだよね。まあ、それも一つの法則みたいな物の言い方なのかもしれないけれど。